二十四番 妖怪百句物語
左勝
宗教に入ってしまう雪女 塩見恵介
右
雪女
「俳壇」誌の八月号の特集は、「妖怪百句物語――見えざるものと私」と題しての納涼企画。二十一人の俳人が、妖怪の類をはじめ広い意味での常ならざるものをテーマにそれぞれ新作五句を寄せ、併せて自分と「見えざるもの」との関係についてミニエッセイを付す、という趣向である。
計百五句のうちに最も多く登場する妖怪は「雪女(雪女郎)」で、四人が句にしている。これは季語でもあるのだから当然として、二位には「ろくろ首」と「ぬらりひよん」が三人タイで続いていて、ちょっと意外だった。ろくろ首は妖怪界の大メジャーだから不思議ではないのだが、そこに比較的マイナーなぬらりひよんが並んだのは、ぬらりひよんという音の面白さのゆえか。ちなみに、この特集とは別に、最近読んだ句集数冊で、ぬらりひよんの句とぶつかったのも同じ理由からだろう。一方でこの妖怪、実体の方はそれ程知られているとはいえまい。本稿の読者に、ぬらりひよんとはかくかくしかじかの妖怪なり、と手際よく説明できる御仁はいかほどありや。私は、水木しげるが描いた妖怪画をかろうじて思い出せるだけで、どんな振る舞いをする輩なのかはとんと存じません。と、ぬらりひよんを枕に振りながら、取り上げるのがなじみの雪女なのは、ぬらりひよんの句は、目にはついても出来がいまひとつだからで、語感は良くともイメージが共有出来ていないため、句としてはとりとめがないものになりがちなのだろう。
さて、掲出は左右とも上記特集より。右句の作者は、雪女俳人と称してもよい程、雪女の句ばかり作っている人だ。実は今回の特集でも五句すべてにおいて雪女を詠んでいる。しかも、どれも水準以上の出来栄えなのは、さすが雪女俳人。しかし、いくら佳句揃いとはいえ、さすがに私はこの人の雪女俳句には飽きてきましたよ。そこで、あえて左を勝ちとしたわけだが、実際、左句には意表を突く面白さがある。民話などでは雪女が物語のイニシアティブを取っているから超越的で奥深い存在のように印象づけられるが、よく考えれば、愚かで孤独で哀れな女ではないか。「宗教に入ってしまう」のもまことにもっともな話で、これはなかなか鋭い着眼と言えまいか。いい年をして雪女との情交がやめられない右句の作者より、態度が大人かもしれない。ともかく、二十一世紀もはや十年以上がすぎた。そろそろ雪女氏が無明から救われ、成仏せんことを祈るものである。
季語 左右とも雪女(冬)
作者紹介
- 塩見恵介(しおみ・けいすけ)
一九七一年生まれ。一九九〇年、「船団」に入会して俳句をはじめる。句集に『虹の種』、『泉こぽ』。
- 眞鍋呉夫(まなべ・くれお)
一九二〇年生まれ。小説家。句集『雪女』により讀賣文学賞を、同じく『月魄(つきしろ)』により飯田蛇笏賞を受賞している。