冬の記憶達 今井義行
2010年5月18日
01:18
公園に立つ鈴掛の木の名前は 銀の砂のプラタナス
えだのところどころに
鳩がとまっているのかと思っていたら
えだのところどころに
鳩のような枯れ葉がぶらさがっていた
銀の砂のプラタナスも
ひりひり音をひびかせそうな手袋を
えだのところどころに かろうじて付けていると
晴れた朝は突然におしえてくれる
晴れた朝には真上を見あげるから
市立図書館の誰もいないガラスの下をとおるとき
まるい 湖水のアーチを
しずかに潜りぬけているような気がする
ほんの さっきまで
枕に頭を沈めていたのに
アーチをぬけると 向こうには世界があるという
去年まではきらいだった手袋を
わたしも仕事のかえりみちに買おうと思う
(前半部分、『時刻(とき)の、いのり』所収、2011年9月、思潮社)
今井義行さんの詩集『時刻(とき)の、いのり』は、前書きによれば、インターネット上のサイト「ミクシィ」に連載した110篇の詩篇をまとめたものであるようです。
ここに紹介した「冬の記憶達」は「今日の詩篇」と題されたパートに収められています。
すべての詩篇に、日付と時刻が付されていますが、これはおそらく「ミクシィ」に投稿された日時をあらわしているのでしょう。
『時刻(とき)の、いのり』に収められた詩篇は、自らの日々の行動や考えを書き留めたもの、つまり日記と呼べるようなものを、詩の形にして提示したものである、とひとまずは見えます。
事実、「冬の記憶達」を読むことで、読者は今井さんが何をし、何を考えたかを窺い知ることができます。
きっと今井さんは、公園でプラタナスの木を見た。
木に鳩が止まっているのかと思ったら、それは枯れ葉だった。
枯れ葉が手袋のように見えた。
それは晴れた朝のことだったにちがいない。
そして今井さんは、去年まで嫌いだった手袋を買おうと思った。
このように散文的に語りなおしたとしても、この「日記」が美しく、興味深いものであることを私は認めます。
けれどもここでひとつ気になる点があります。
それは、この詩に付された日付が「5月18日」であることです。
5月18日はもちろん冬でもなければ、手袋を買う季節でもありません。
今井さんは、暖かな初夏の深夜に、冬のある日を思い出してこの詩を書いたのでしょうか。
あるいは、冬に書き留めておいた詩篇を、5月に発表したのかもしれません。
いずれにせよ、冬の記憶の中の今井さんと5月18日の今井さんとがこの詩の中で二重写しになっている。
そのことに、私は不思議な感慨をおぼえ、今年の冬をむかえるための手袋を買いたいと思いました。