五十番 古典
左持
冬藁でくるみたし古典壱弐巻 矢田鏃
右
瞳に古典紺々とふる牡丹雪 富澤赤黄男
百番までのつもりで始めた句合わせが、ようやく折り返し地点に達した。そこでお題は「古典」。当節の作品について読んでは書くことにかまけて、もう数年来、蕪村全集も一茶全集もあれもこれも埃を被ったままで、欲求が不満している。つまりは、年季奉公明けの夢を託したお題というわけである。
まず右句であるが、これは塚本邦雄の『百句燦燦』に名鑑賞があるので一部を引く。
この作品の点睛は一にも二にも「紺紺」なる造字の妙にあらう。朗読吟唱すればこの効果は零に等しい。徹底的に目読の視覚的美観に賭けた潔さを私は嘉する。……その一回性の潔さと空しさゆゑにこの紺は雪を銀泥と化し、古典は原典の墨色の濃淡まで髣髴させる。文字面を尊重するならその古典は蜻蛉日記、風雅集、玉葉集、花伝書、閑吟集、あるいはまた狭衣物語、金槐和歌集、男色大鑑、鶉衣あたりがふさはしからう。
「紺紺」の表記にふさわしい古典作品が、タイトルの文字面を基準に列挙されているのが興味深い。塚本一流の美文調にごまかされそうになるが、ここに並んだ書目、じつはあんまり面白そうなラインナップではないところがミソか。日本文学史の中の二軍とは言わないまでも、とりあえず控えとしてベンチ入りという顔ぶれが多いようだ。右句が書かれた時代は、戦時下のナショナリズム高揚期であり、それと結びついた古典復興期でもあった。この句における「古典」が具体的に何であるかはもちろん(いちばん素直なのは万葉集であろう)、作者がこの語にどういうニュアンスを帯びさせたかったのかもにわかに断じ難いものの、少なくとも夢中になって読み耽っている印象は受けない。「瞳に古典」というフレーズも思えば変な言い方だろう。赤黄男の読書性向などよく知らないが、芭蕉に対する浅薄な批判を見ても、塚本のような骨の髄からの古典好きの勉強家でなかったことはたしかに思われる。この句の「古典」には、時を超えて現在に生き続けるものの気配よりは、むしろ冷え固まった死せる美の匂いが感じられてならない。
左句の「古典壱弐巻」はテキストである以上にまずは本というオブジェとして扱われているようだ。「くるみたし」なのだから大事にする気持ちはあるらしいが、「冬藁」でくるむのだから正常な扱いとはとても言えまい。しかし、この全体の関係性のちぐはぐさは、それ自体が古典への批評即愛として差し出されているのであり、装飾的耽美的な構図の中で古典を仰ぐポーズをとることしか出来なかった右句の空虚さに比べ、左句における古典はまだしも有機的な生命力を保っている。その生命力こそが、「冬藁でくるみたし」なる奇矯な焦燥を生み出しているのである。ただ、当方にとって躓きの石となるのは「冬藁」で、歳時記にも日本国語大辞典にも見当たらず困ってしまった。藁仕事(冬の季語)で使う藁なのか、牛馬の飼葉なのか、いずれにせよ少しく時を経て、新藁(秋の季語)の香りも腰の強さも失われ、くたっと柔らかくなった藁なのでろう。
左右両句ともにすっきりと評価を決められないところがある。それは「古典」という語に作り手の側、読み手の側が託している内容が、あまりにも曖昧で流動的に思えるからだ。上述の読みなどもごくごく暫定的なものにすぎない。好き嫌いだけなら、どちらの句も十分好ましい。引き分けにしておこう。
季語 左=冬or冬藁(冬)/右=淡雪(春)
作者紹介
- 矢田鏃(やだ・やじり)
一九五三年生まれ。永田耕衣に師事。掲句は、句集『澎湃』(二〇〇四年 田工房)所収。
- 富澤赤黄男(とみざわ・かきお)
一九〇二年生まれ、一九六二年没。掲句は、句集『天の狼』(一九四一年 旗艦発行所)所収。但し、引用は同書復刻版(二〇〇四年 沖積舎)より。