五十九番 痰
左
極月の痰に溺れて死ぬかとも 田島風亜
右
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 正岡子規
故田島風亜氏とのささやかな俳縁については、当句合せ第五十三番(旧臘十二月二十六日アップ)に簡単に記しておいた。「俳句」一月号に載せた拙文が発端であったわけだが、田島氏の所属誌である「梟」の一月号に当該の鑑賞文が転載されたため、同誌の恵送に与った。その雑詠欄の巻頭は田島氏の句で、七句が載っている。同誌の投句は七句が上限であるから、選者である矢島渚男氏は当月の投句をすべて採って、巻頭に据えたもののようだ。選評を読むと、
最後の投句となった今月の七句は病床で手許から離さなかったという句帳に書かれていた句を死後に身うちの方が送られてきたもの。十二月八日の句。絶命は十四日未明だった。
と、事情が明かされている。全句採用と巻頭は、故人への供養の気持ちもあったにせよ、実際、作品としてすぐれている。
冬ぬくしモルヒネ使ひはじめの日
ではじまる前半四句はそれでも普通の闘病詠の範疇であろうが、後半三句になるといよいよこの作者の本領が発揮されているようだ。
十二月八日おむつをされてをり
続いて左句。最後に、
小六月頼ると決めて眠りけり
病状が悪化してモルヒネを使わざるをえなくなり、用便も自分ではコントロール出来ないため、おむつを付けられたということだろうか。それが十二月八日のことであったのはたまたまのことだとしても、開戦日という季語が負うものを個人の状況によって相対化して痛烈。したたかな俳者ぶりだろう。最後の句の「頼ると決めて」もシンプルに言い切って見事だ。そして、左句。痰にむせて窒息しそうになったのをそのまま詠んだまでのようだが、「溺れて」という表現ははつらつたるものだし、「死ぬかとも」という言いさしと相俟って、どこか自分を突き放したような、ほのかな諧謔味も感じさせる。こうなると子規の「絶筆三句」を思い出さないわけにはゆかぬだろう。風亜氏おさおさひけを取ってはいないように思うが、相手が歴史化されすぎていて、句そのものの良否を正確に計測しての比較は出来難い。よって勝負なし。
季語 左=極月(冬)/右=糸瓜の花(夏)
作者紹介
- 田島風亜(たしま・ふうあ)
一九五六年生、二〇一一年没。一九九七年作句開始。二〇〇一年「梟」入会、二〇一〇年「光円」入会。
- 正岡子規(まさおか・しき)
一八六七年生、一九〇二年没。掲句の引用は、高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫 一九九三年)より。