匕首(ひしゅ)めく手帖胸に潜ませ男のポケット夏
秘密を秘めた手帖を匕首(あいくち)に見立てたものだ。感心するほどの譬喩でもない。感心してしまうのは、「○○○○○○○○○○夏」と末尾に季語1コを入れることで、俳句として成り立たせてしまうことだ。こんな安直さは他の文学にはあり得ないだろう。有季定型の詩だといいながら、魂に相当する季語をこんな安直に選択し(「夏」である!)、こんな安直な場所に入れるのである。
また<7+7+8+「夏」>と定型ではないのだが、俳人はこれを定型と読み解く。決して自由律とは言わない。「匕首めく手帖」を上5の3字の字余り、「男のポケット夏」を下5の5文字の字余りと見えてしまうのである。これも不思議な伝統だ。もちろん憲吉が日野草城系の新興俳句派の俳人であるという特殊事情があるように見えるが、俳人の頭はこれをぎりぎり定型と見る枠組みを持っている。
こんな俳句だから、ちょっと面白いが、現代の俳人は憲吉に目を向けようとしない。俳句の教科書に載る俳句ではないのである。現代の名句とは安心して教科書に載せられる句であるからこうした生徒を混乱させる句はだめなのである。
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にもかかわらず戦後の俳句としては掲げておきたい句である。楠本憲吉の特有の文体が匂い立つからである。いや戦後俳句を読むとき多かれ少なかれにじみ出る特徴が、楠本憲吉のこの失敗作により、その特徴を露骨なほど露出してしまうからである。私は、戦後俳句、それも昭和30年代から40年代にかけての作品をその前後と比較してこんな感想を述べたくなる。
①この時代の戦後俳句は、どんな伝統俳句や保守的俳句であろうと、自分たちの内部を語りたいという切望をもっていた。
②そして彼らは、自分たちの内部を告げるための独特の表現の形式や言い回しを工夫せずにはおかなかった。
③しかし、こうした独特の表現の形式や言い回しが、しばしば、彼らの作品に自己模倣を生み出させる原因ともなっていた。
この例が典型的に現れるのは楠本憲吉であるが、実は、伝統俳句の代表とされる飯田龍太も、能村登四郎も、草間時彦も、内面を表現する独特の形式を持ちつつ、自家中毒のようにそれが自らを侵しているという現象を見て取ることが出来るように思うのである。不思議なことに、彼らの前の世代の人間探究派にはあまり見られなかった事象である。私が懇切丁寧に研究した作家の数はそう多くはないが、少なくともそれを行った飯田龍太と能村登四郎については間違いなくそれが言えたのである。
問題はそれを是と見るか、非と見るかである。自己模倣など作家としては最低だという人がいるかも知れないが、独自の表現を持てたことをもって、私は無上の羨望を彼らに感じる。今の時代より、彼らの時代が不幸であったとはどうしても思えないのである。それは、楠本憲吉のこの珍妙な句についても言うことが出来たのである。こんな俳句は現代の若い作家は誰一人書こうとしない。実は、書けないのである。