戦後俳句を読む(4 – 1) ―「死」を読む―  楠本憲吉の句  / 筑紫磐井

新涼や「死んで貰う」と高倉健

『増補楠本憲吉全句集』<拾遺作品>に載っているが制作年代不明。

俳句では、「新涼」は秋の季語。「涼し」は夏であるのに、「新涼」は秋の季語であるのは不可解である。暑いのは夏、涼しいのは秋に決まっている。俳人の因習はかくも怖ろしい。

問題は、そんな季語論ではない。この「新涼」は、一般人の「涼しいこと」だと仮定しても、それは何となく映画館の大画面にふさわしい季節の言葉である。特に野外であると、それも夜の青葉の騒ぐ広場であると一層効果的だ。

そこで健さんが極めつけのせりふ、「死んで貰います」とつぶやく。こんな映画をリアルタイムで見ていたころ、楠本憲吉がまだ存命で俳句を詠んでいたというのは不思議な感じがする。もっともっと昔の人のような気がしていたからだ。

今回の主題「死」で詠まれた俳句16句の中で最も軽やかな俳句が楠本憲吉のこの句ではないかと思う。憲吉にとってはこの程度の死がちょうどよい。重苦しい死はふさわしくないからだ。この時殺されるのが天津敏だとすれば、シリーズの次の回ではまた不死鳥のように生き返って健さんに殺される宿命にあるのだ。死とはいっても1回限りの死ではないから、実に軽やかである。どうやって美しく死ぬかに監督も俳優も工夫を凝らす。そうした「死」なのだ。

「死んで貰ふ」ではなくて「死んで貰う」もいい。決して健さんは、「死んで貰ふ」とは言わないからだ。「明治一代女」のようなせりふは健さんにはふさわしくない。俳句とはこのように細かく読むものなのだ。

*    *

先日、楠本憲吉が創刊した雑誌「野の会」の創刊500号記念大会に招かれて出席した。「詩客」で久しぶりに俳句を発表された安井浩司氏も、遠く秋田から来られていて久しぶりの話をさせていただいた。その後挨拶のために壇上に上がり見わたすと、一面華やかな感じがした。参加者も多かったが、参会者に女性が多く、その女性が皆それぞれに高価そうな和服を着ていたからだ。俳句の会でこんな和服の花盛りを見たことはない。いかにも、灘萬専務(長男だが社長でなく専務)の楠本憲吉らしい会と思われた。

タグ:

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress