日めくり詩歌 俳句(高山れおな)

五番 すぐそこ (俳句の「型」研究 【1】)

左勝

すぐそこを白雲の行く年賀かな 大峯あきら

鎮守すぐそこに一番草すすむ 斎藤夏風


「すぐそこ」というフレーズを使った句としては、波多野爽波の〈掛稲のすぐそこにある湯呑かな〉(句集『湯呑』所収)が有名だが、これに限らず「すぐそこ」ないし類似のフレーズを愛好する俳人の系列があるのではないかとふと思いついたのは、左句を収める大峯あきらの句集『群生海』を読んでいた時のこと。

同書には他にも、〈はくれんのすぐ裏にある夕日かな〉〈すぐそばの雲を照らして夏の月〉があり、〈金星のまぎれこみたる桜かな〉もまた金星と桜を「すぐそこ」にあるものとして関係づける。〈人立てばすぐに鯉来る夏館〉は、時間的な「すぐ」を詠んだ句である。これらの句のように「すぐそこ」が明示されていない場合でも、大峯の句には同様の気分が横溢している。白雲も太陽や星さえも「すぐそこ」に手の届くような存在としてある、小さな穏やかな世界が、一貫して志向されているのだ。

同句集における大峯は、ドイツでの旅吟を除けば、ほぼ住居のある吉野と学校のある京都との往還のうちに句材を拾っているものと推定されるが、いかに吉野や京都とはいえそこに侵入しているはずの現代の現実は、句の表面から見事に拭い去られている。これをしも大峯が師事した虚子の言葉で極楽の文学と規定してもよいのかも知れないが、評者はむしろ桃源郷文学と呼んでみたい気がする。極楽の文学とは地獄の文学を前提にした上での世界肯定の思想であろう。これに対して大峯は、俳句が得意とするフレーミングの機能を最大限に発揮させることで、自らの審美眼に統べられた端的な理想郷を現出しようとしているように思えるからだ。

陶淵明の「桃花源記ならびに詩」に描かれたいわゆる桃源郷の眼目は、政治性=歴史性を排除しつつの農村共同体の讃美にある。理想郷とは言いながら、そこに描かれているのは人々が腹一杯に食べ、慈しみあって暮らす、他愛もない農村風景に過ぎない。しかし、それを可能にしていたのが、霊的な結界をなすらしい桃の林に守られることでもたらされた外部との断絶であることは注意を要する。「秦の時の乱」を避けて隠れた村人たちは、漢の興亡も、魏や晋への王朝の交替も知らず、古俗のままに暮らしていると陶淵明は特筆する。政治=歴史から切断されることがすなわち理想であるとする考えの裏には、常に政治の過剰に苦しめられてきた中国の現実がある。一方、日本は中国ほど政治が過剰な国ではないので、日本における桃源郷文学は政治と非政治の弁証法をはじめから欠いたものになる。それは、蕪村の時代から一貫した事態に違いない。そこに地獄と極楽の弁証法を導入した虚子がともかくも近代主義的だったのに対して、大峯の句などを見ると、極楽の文学は再び桃源郷文学へと退歩したか進歩したかしてしまったらしい。などというと皮肉っぽく受け取られそうだが、もちろん桃源郷文学を一冊の句集として完遂するには、高度の技術と細心の注意が必要なのである。

上記のようなことを考えつつ斎藤夏風の句集『辻俳諧』を読み始めると、夫人の介護や逝去といった“境涯”が多少の侵入を見せるものの、これもなかなかの桃源郷文学である。必ずや「すぐそこ」俳句があるはずとの予想通り現れたのが右句。除草剤の使用が専らの現在においても田草取が行われているものやら評者は知らないが、あるいはこれは回想の光景であろうか。一番草、二番草、三番草と、田草取も回を重ねるにつれて稲の茂りは深くなってゆく。田植後ほどもない一番草では稲はまだ小さく、田水に反射する日の光の中で視界は明るく開けている。ゆえに、「すぐそこ」にある鎮守の存在も際立つわけで、季語の情感を濃やかに形象化した句といえよう。

勝ち負けとなると難しいが、「すぐそこ」にあるものの意外さの点で、「鎮守」は「白雲」に一籌を輸するか。よって左勝。

季語 左=年賀(新年)/右=田草取(夏)

作者紹介

  • 大峯あきら(おおみね・あきら)

 一九二九年生まれ。学生時代、高浜虚子に師事する。哲学者。「晨」代表同人、毎日俳壇選者。『群生海』(二〇一〇年 ふらんす堂)は、第八句集。

  • 斎藤夏風(さいとう・かふう)

 一九三一年生まれ。「夏草」の山口青邨に師事。一九八六年、「屋根」を創刊主宰する。『辻俳諧』(二〇一〇年 ふらんす堂)は、第六句集。


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