戦後俳句史を読む (23 – 1) 赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

マッチ擦る短い橋を蟹の怒り   『蛇』

 この句を読むと誰しも寺山修司の短歌

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

を思い出すのではないか。この歌は昭和33年刊の歌集『空には本』に収録されているがその前年の昭和32年1月に出版された作品集『われに五月を』にも収められているから制作されたのは31年頃であろうか。兜子のこの句が昭和33年の作らしいので兜子自身寺山のこの短歌を知っていたかもしれない。ただ当時の二人の間に接点があったという話は聞かない。

 兜子自身煙草を吸っている写真が多く残っているのでヘビースモーカーだったらしいし、また祖国ということについて深く考えてもいたろうから、この歌を読めば多少は共感したかもしれない。ただ寺山は昭和10年12月生まれで兜子よりちょうど10歳若い。だがこの10歳には戦争体験ということで言えば天と地ほどの差があるのである。「身捨つるほどの祖国はありや」と言う以上に兜子は祖国と深い関係を持ってしまっていた。さらにその祖国は一度完全に崩壊してしまったのである。兜子からすれば寺山の祖国への悩みはまだまだ甘いと映ったかもしれない。

 この句を読んでまた別の光景をも思い浮かべてしまった。小栗康平監督の映画『泥の河』のワンシーンである。映画自体は昭和56年、つまり兜子の死の年に作られた。しかし宮本輝(昭和22年神戸生まれ)の原作は昭和52年に発表されたもので、その舞台となったのは作家自身の幼少期、つまりは昭和30年頃の大阪である。だから宮本が書いた大阪の「泥の河」=どぶ川をリアルタイムで兜子も見ていたことになる。筆者は昭和32年生まれなのでそれよりさらに数年後の大阪に住んでいたことになるが、高速道路建設によって埋め立てられつつも、まだあちこちに「泥の河」が残っていたのを思い出す。

 小栗康平の映画はモノクロ、まことによく当時の大阪のどぶ川の様子が写し出されていた。ダルマ船と呼ばれる丈の低い船を住居としている同級生と友達になった主人公はある日誘われてその船=家へ遊びに行く。テレビも何もなく退屈なので帰ろうとするとその同級生が「面白いもん見せたるわ」と捕えてあった蟹に油を塗って畳にぶちまけ、一匹一匹の背中にマッチで火を点けていく。蟹は慌てて逃げ出すがやがて炎に包まれて次々死んでいく。主人公はやめさせようとするが同級生はやめない。やがて窓から外へ逃げ出した蟹を追って主人公が外へ出ると同じ船の隣の部屋の窓から中が見えてしまう。そこには客に抱かれる同級生の美しい母親の姿が…。つい長くなった。この句の「蟹の怒り」は映画とは何も関係ないけれども、同じ時代の同じような風景の中の出来事ということで興味深かったのである。これもまた場末の一風景。

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