サリンジャー! 松本圭二
自由律って何?
尊厳って何?
指が抜けることに気が付く
小さな血管をぜんぶほじくり返して表に引っぱって来る
戦没が金になればいいかどうか
思い出を作るためにうろちょろしている六本木クビチョンパ事件
子供たちのクビチョンパ事件は永遠に続く
地下鉄イカリング事件、松本オニオンスライス事件
角っこが怖い
お日さまは少しも暖かくない
確認していこう、「あ」は口を大きくあける、思いっきりあける
さあ思いっきりあけろ!
朝になる
生涯の〆切が来る
全身とは何だ?
抜けた指が勝手に飛び回る
まもなく、まもなく白い人間と黒い人間が、黄色い人間どもを……
「しっかりしなさい、しっかりしなさい」とマチルダ少佐は言った
しっかりしなさいポエジ君、これから私と地下活動をともにするのだから
私の作戦に入ってもらいます戦没君
誘導夢
君の胃の中に死体があるはずだ
サリンジャー!
サリンジャー!
読んでいて急に見たこともないような、あるいは見たことはあるけどどうしてこのタイミングで出てきたのか分からないような言葉が出てきて、一体この言葉は誰の何なのか、みたいなことを考えさせられる詩がたまにあって、たとえばこの詩がそうだと思う。特にどこらへんがそうかと言うと、どこがそうかを言うというよりかはもう詩の全体がそうみたいな感じで、この詩はもうほとんど行と行の組み合わせもメチャクチャに言葉が繰り出されてくるので、それがこう書かれたのだからそうでしかないような力を感じさせてくる。誰が語っているかなんてここではもう考える余地がないのであって、ただ書かれてある言葉が剝き出しになって前後の行とぶつかりあいながら、同時に謎の調和をつくっている。
要するに括弧のない声が紙の上に、それこそ前後の行を断ち割るような勢いで、しかも絶えず連続的に置かれている。しかもそれらは何処から来たものなのか、誰の声なのかも分からない、何についての声なのかも分からない、ただなんとなくものすごい説得力がここにはあって、その説得力だけで果てしなく読み手は揺さぶりをかけられてしまう。どことなくやぶれかぶれな力を感じるけれど、それで、その説得力というのは一体どうして生まれているのだろう?
それはたぶん、行をまたがずに常に1行でバッサリ決めてくるこの言い切る力のためらいのなさから来ているんじゃないかと思う。どの行を取ってみても読んでいて一息入れられそうなところがなくて、常に書かれている行をその始めから終わりまでを読まされる。行と行との間に断絶がすごくあるから、読んでいて息を入れるとしたらその隙間で休んで、また次の行を読む。その行もまたハードボイルド小説でも読んでいるみたいな簡潔さの上に乗った、言い切りの、そこに何が書かれ、何が行われているかをほとんど命じるに近いような語り方で、抵抗する暇もないような速さで言葉が展開されていく。解釈の余地を残さずにこれはこうでしかない、みたいな、強い力というよりかはなけなしに言葉をぶつけてくるような切迫さが、この詩に独特のリズムを生みだしている。そうなってしまったら読み手はその場でこの詩を読み捨てるか、語り手の語りに最後まで生きるかのどちらかでしかないような、そんな0か1かみたいな
読み方しかできないんじゃないかと思う。まあ、その語りの勢いにどこかしらの綻びがあれば、それはそのまま詩のリズムの減速というよりかは弱さとして感じてしまうのだけど。