九十三番 何処
左持
朝顔や何処に死すとも八字髭 仁平勝
右
心臓がどこにあつても恋苦し 筑紫磐井
右句は最近、「スピカ」に出ていたもの。以前、当連載で同じ作者の
臍の位置少しずらせば美妓なりき
という句を紹介したが、同工異曲といえば同工異曲。この作者はなぜこうも身体器官の位置ばかり気にするのだろうか。それはともかく、心臓がお尻にあったり、ふくらはぎにあったりしながら恋に悶々としている人を愚直に想像するとなかなか可笑しく、同じおふざけでも臍の句より面白いように思う。
左句は「朝顔」がダブルミーニングになっている。一つはもちろん花の朝顔で、もう一つはいわゆる朝顔型の男子用小便器である。高血圧の人が、夜間や明け方に用便に立って脳卒中で倒れるというのはよくあることだろう。宴席で酒に酔ってということでも何でもよろしいが、とにかく立派な「八字髭」を生やした人物が便所で急死したのである。あるいは、すでに死んだとはせずに、これから仮にどこで死ぬとしてもという仮定の話でもよい。いずれにせよ、「八字髭」から想起される虚栄心や自己愛、社会的地位の高さが、便所という場所柄と対照をなすことで、ものの哀れを醸し出すのだ。
右句の作者にはすでに一度負けて貰っているし、左句はかねてからの愛唱句。よってどちらも負けにはいたし難く、持。
季語 左=朝顔(秋)/右=無季
作者紹介
- 仁平勝(にひら・まさる)
一九四九年生まれ。掲句は、第二句集『東京物語』(一九九三年 弘栄堂書店)所収。
- 筑紫磐井(つくし・ばんせい)
一九五〇年生まれ。掲句は、「俳句マガジンspica」二〇一二年五月九日号より。