「私の好きな詩人」――なのになぜ歌人の名を、とは素朴な疑問だろうけれど、詩歌一般を単純にこよなく愛してきた一読者には、たとえば短歌や俳句を、むろん歌として句として受けとめつつも、時に定型形式より溢れ出してやまない何か、そんな、おそらく本質的な何かに、文句なく打ちのめされてしまうという刹那が、不意打ちのようにある。その何かを、仮に詩心と呼ぶにせよ、呼ばないにせよ。
もちろんそうした作は歌としての句としての、精錬の賜物であって、定型から自由詩への逸脱という話ではない。
それらは定型を十全に響かせ、作者の、定型との親和性をむしろ根底の衝動に、作品化されたものであろう。しかし同時に、溢れ出る本質的な何かが定型を動かし、脈打たせて、作品化、結晶化したものとも、思える――このとき、見慣れた定型それ自体もいまはじめてここに生まれ出た、見出されたものであるのかという、一瞬の錯覚をも、なぜかふと読み手に与えてしまう。不思議なことだ。
このような水準の短歌や俳句に、ある日忽然と出会うこと――それを心のどこかでつねに求めてきたし、そうした出会いが叶ったとき、私は自由詩も含めた詩歌一般という視座を、ごく自然に取り戻すわけである。その視座において、詩歌句のジャンルの違いなど、ほとんどまったく気にならなくなる。
この子供に絵を描くを禁ぜよ大き紙にただふかしぎの星を描くゆゑ
疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ
他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
空中を輸送されきし美しき馬ありすなはち地上に嘶く
これらは、葛原妙子の第五歌集『朱霊』から(原文では漢字は旧字体。以下同)。
葛原妙子について、いまさら言うまでもないが、1907年生まれ、39年「潮音」入会、50年に第一歌集『橙黄』、以後77年の『鷹の井戸』まで八冊の歌集をもち、『朱霊』で迢空賞を受賞している。85年に没。……
私はとりわけ第四歌集『葡萄木立』と、『朱霊』の二集を、愛読してきた。いや、率直に告白すれば、愛読という水位をこえて、詩作者としての私自身の、きわめて深い部分に色濃く影響をうけた。
物を、外界を、見ること、聴くこと、それはじつはある絶対的な距離感覚を、要求するものであること。その距離は、距離感覚は、自身の内なる空間に、照応するものであって、それゆえ反射光のように、静謐なものであること。反射光のとどく先で、不可視は事後のものとなって可視の刻印を、亀裂のようにまとうこと。
……以下は『葡萄木立』からの四首。
月蝕をみたりと思ふ みごもれる農婦つぶらなる葡萄を摘むに
オードコロンに無数の歯車充ちをりて冬の日差を明るくなせり
こじあけし時計のうちらに小機械薄荷みじろぐさまにうごきゐつ