私の好きな詩人 第19回 – 萩原朔太郎 – 松本秀文

 私は、以前に比べると詩を読むことが少なくなった。その大きな理由のひとつに、面白い作品との出会いが少なくなったことが挙げられる。世界中の詩を全て読んだ訳ではないので、このような発言は多くの人を不快にさせてしまうおそれがある。だが、そのおそれをここではあえて取り払い、論を進めたい。やはり、面白い詩が少ない。今になって、ようやく吉本隆明が「今の若い人の詩は無だ」と述べていたことの本質が明らかになってきたように思われる。

 現代詩の現状についてまとめると「不毛」という言葉に尽きる。そう呼ぶ理由は、若い詩人たちはその作品を競うのではなく、詩に対する考え方や知識量や真摯さの度合いを競っているようにしか見えないからである。「えらそうなことを言うな。詩を書けないのなら、お前は詩人ではない」ともし顔が見える距離に立つことが出来たなら、私は告げるだろう。「いや、詩っていろいろな表現方法があるのだから、松本さんが面白くないから切り捨てるのは傲慢過ぎませんか」という反論も容易に出るだろう。私は、その時に自分が詩を手本にした萩原朔太郎のことを思い浮かべてみる。そうして、私の詩に対する考え方を萩原朔太郎の詩篇が形成したことを自覚して、朔太郎の詩をひとつの「基準」として考えることが詩の評価基準としてとても有効でないかと考えるのである。

 日本近代詩において、萩原朔太郎は現代詩の祖として決定的な業績を残している。それは、『月に吠える』(1917)という詩集よりも『青猫』(1923)においてであると私は考えている。その理由は、前者に比較して、後者はよりイメージに富み、近代の都会の風景とその中を漂白する詩人の心的風景とが奇妙に一致して、不可思議な言語空間を創出しているからである。人間が自分の孤独をただ歌うなどという行為はあまりにも凡庸である。古代において、群れから離れた猿ですら同じように歌ったかもしれない。

詩が言葉で書かれるものである限り、それが読む者に衝撃や感動を与えるためには言葉を駆使する技術とその言葉が一元的なテーマに吸収されず、言葉そのものとして独立した魅力を湛えていなければならないだろう。朔太郎の生み出したタイトルポエム「青猫」は、その言葉そのものから魔術的な魅力を持っているように思われる。

ああ このおほきな都会の夜にねむれるものは
ただ一疋の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。

(「青猫」部分)

 この詩集の後に発表された短篇小説「猫町」(1935)は、この「青猫」のイメージを増幅して書かれたものであると言えよう。「猫町」については、清岡卓行氏の『萩原朔太郎『猫町』私論』(文藝春秋)に詳しいが、私もこの散文作品が大好きで繰り返し読んでいる。それは、内容の面白さというよりも言葉そのものが魅力的であることに拠っている。どんなに面白い小説であっても、表現や文体に魅力が無ければ、読者は再読の誘惑に駆られることは少ないであろう。

かつて、詩人で批評家の阿部嘉昭氏は、詩の評価基準のひとつに「再読性」があると語っていたが、今年で生誕125年を迎える萩原朔太郎の作品が今も広く読まれる理由は、やはり泉のように溢れる言葉そのものの魅力(「言葉の魔」と呼んでもいいかもしれない)であり、「再読性」をはっきりと持っている点にあるだろう。それは、朔太郎が追究した「音楽性」にも大きく関係しているだろう。七五調から離れた詩が詩であり続ける根拠を「実験」や「前衛」に求めずに「音楽性」を追った朔太郎の態度は正しいと私は考える。

 冒頭に戻るが、そのような「再読性」を持つ現代詩の書き手は本当に少ない。私も「再読性」を持たない書き手のひとりである。私はその自覚を持って、今もずっと朔太郎ばかりを読み続けている。現在、鬱病に悩む人は多く、それは近代から受け継がれてきたものであるようにも思われる。そうして、その近代の直中で自己の内部をじっくりと観察し、不器用な人生を歩みながらも言葉の魅力だけは最後まで放棄することのなかった萩原朔太郎を私は師匠のように仰ぎ、友人のように慕っている。

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