その犬はじぶんを迷い犬っていった 無機質なコトバは体によ
くないって 胸を叩いたらバクンって息がつまったって とう
めいなくろめをとおくまですまして(中略)
ぼくはしった 迷い犬なんていない まよいの
ないくろめでくびきを捨てる まっすぐなきみをねたんだやつ
らが 迷い犬と呼んだのだ よごれない白い毛並みの心で 花
のようにわれたゆびさきで ぴかぴかのくびわのような思い出
をつけたままで)
(題名なし『ほんとうは記号になってしまいたい』より 2010年 私家版)
たくさんの人の琴線をぎゅんぎゅんかき鳴らしたいので冒頭にまず引用した.斉藤氏の詩は,語選びの時代感覚,テンポのよさ,物語の運びにおいて絶妙のバランスを保っている.つまらなかったり説教くさくならずにこのバランスを保つことが実はとても珍しく,谷川俊太郎氏の若い頃の作品群を彷彿とさせるみずみずしさである.そしてまた,玄人をうならす技を隠しながら,どんな人の心をも一瞬でつかむエモーショナルなとっかかりをひとつひとつの詩に込めてきている.下ネタ(ざっくばらんに言えばね.性愛と言ってもここでは同じ)に頼らずにこの線を行くのはとても難しく,もはやこの道の匠の域にあられると思う.
はじめからすでにスタイルが完成されていたこの書き手の出自を,出どころを,どこの誰なのかを私は知らない.歌人の穂村弘氏の別名を疑ってネット検索してみたけども引っかからず.と言っても検索結果の最初のページしか見ていない.漫画家の同姓同名が存在するが,マーガレットコミックス,感覚的な回答でしかないけども,別人ですか,ね.
言葉のみずみずしさ,朝露をまとったようなきらめきを感じるのは,この書き手が詩の中に世界をみずみずしい方向へ動かすことができるメッセージを込めていることにある.たとえば冒頭の詩には,あたたかいメッセージがある.現代詩は,とかく言葉のアクロバティックな捻転を誇示せんがために閉じこもりがちとなる傾向が強い(現代詩は,なんて書きましたけど本当は自戒です.わたくしごとです.すみません).あるいは込められた負のメッセージに無頓着としか思えない点も目につく.世界に働きかけるバランス力を持った書き手が,肯定的なメッセージに対して自覚的でいること自体がとても貴重だと思う.
「それほめてるの?」
「ほめてるほめてる
ボブスレーとリュージュのあいだに
かつてあったと伝えられる何万もの失われた競技が
いっせいによみがえってくるようだよ」(「あぷるーず」同上)
斉藤氏の世界の捉え方は極めて今日的である.この今日性(こんにちせい)が,詩という短い文章という制約の中で,説明を省いてもなお読者(特に若い読者)に対して閉ざされた部分がない詩を実現させている.とんでもない展開を見せるわくわくするような新しさがあるのに,黒は黒,白は白,グレーもあるけどこればグレーだねと共有していく丁寧な姿勢を感じるのである.そんな丁寧な姿勢は,対応する読者を想定して書かれた証拠でもあり,今後詩歌の通例とは異なり多くの読者を獲得したとしても,著者本人が動揺して奇天烈なパフォーマンスへと流れていく心配も感じさせない人格的な安定感もまた,この人の詩からは読み取れる.
著者紹介
- コマガネ トモオ
1977年生まれ.栃木県在住.医師・詩人.8歳から詩作を始め,コミケでの個人詩誌販売を経て17歳から投稿を開始.投稿6年目の2000年に現代詩手帖賞受賞でデビュー.思潮社「新しい詩人」シリーズより2006年に第一詩集『背丈ほどあるワレモコウ』上梓.趣味は掃除.