私の好きな詩人 第25回 -黒田喜夫-小林坩堝

 好きな詩人は誰かと問われ、答えに窮してしまうのは、わたしが自らを詩のよい読者ではないと規定しているからだろう。わたしは極めて偏狭な趣味の裡に詩を読むということを落とし込んでしまっているために、詩に就いて、詩人に就いて語るということに、一種のためらいのようなものを覚えるのである。さて「好きな詩人は誰か」。これを、「現代詩を書くということを決定づけた、わたしを躓かせた詩(人)は誰か」と読み違えることにして、書くこととする。

みずからの死をみつめる目をもたない者らが
革命の組織に死をもたらす と
これは訣別であり始まりなのだ
生への
すると一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
革命から? 生から?
おれはすでに名前で連帯しているのではない

(1961年・代々木病院で)

 これは黒田喜夫『地中の武器』収載の「除名」より終結部を引用したものである。生来病弱であった詩人が、肺を病み入院したその先で書き記した一篇に、17歳のわたしは強く打たれた。この詩には、革命に就いての記述とともに、病で生と死の狭間をぬうかの如く生きる詩人の姿がグロテスクなほど微細に執拗に描かれている。日本共産党の党員として山岳工作隊に入り活動したかれのもとへ届いた「除名」の宣告。しかしかれは言う「おれはすでに名前で連帯しているのではない」。かれにとっての革命とは即ち生でありまた死でもあり、死をも賭して「生きる」ということだったのではないか。そのような自覚と病によって死の際まで追いやられたおのれの生をみつめる眼差し、その合一と分裂によってこの詩は成り立っている。これは詩であると同時に、詩人の、生に対する宣言でもあるといえよう。わたしはここまでの覚悟をもってして書かれた詩を読んだことがなかったし、その心性の表出としての表現の力に射抜かれたこともなかった。叙情でも叙事でもなく、レトリックに遊ぶこともなく書き連ねられた詩群に、わたしは圧倒され、そこで決定的に、詩に躓いた。

 かれの生前に刊行された全詩・全評論集には『詩と反詩』という題が冠されている。かれの詩は、詩であると同時にそうではないなにか、であり続けた、あり続けようとした。同世代の『荒地』や『列島』系の詩人たちの多くが詩のなかに政治を持ち込み取り入れようとしたことに対し、喜夫は生々しい政治性の表出と表現への探究とで詩≒反詩を書ききってみせた。その表現の鮮烈に、詩の先を、わたしは視た、と思った。最後に、かれの代表作である詩集『不安と遊撃』より「毒虫飼育」の一部を引いて終わりたいと思う。政治性を抜きにしてもなおかれの詩が鮮烈であり現代に通底する強度をもっていることの証左として、この一篇は読まれてしかるべきとわたしは考える。冒頭で記述したことに立ち返って、やはり語るべきでないことを語っているような違和を感じつつ、なにか羞恥のような感情を抱きつつ、この稿を終わることを赦して頂きたい。

アパートの四畳半で
おふくろが変なことを始めた
おまえもやっと職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
(中略)
えたいのしれない嗚咽をかんじながら
おかあさん革命は遠く去りました
革命は遠い砂漠の国だけです
この虫は蚕じゃない
この虫は見たこともない
だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている
肩にまつわって蠢いている
そのまま迫ってきて
革命ってなんだえ
またおまえの夢が戻ってきたのかえ
それより早くその葉を刻んでおくれ
ぼくは無言で立ちつくし
それから足指に数匹の虫がとりつくのをかんじたが
脚は動かない
けいれんする両手で青菜をちぎり始めた

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