高校時代、今はなき雑誌「詩とメルヘン」に載っていた内田新哉氏の透明感あふれる水彩画に惹かれ、画集を求めた。そこに詩を寄せていたのが「青木景子」、現在の早坂類だった。
1986年に青木景子名義で詩とメルヘン賞、88年に短歌研究新人賞次席、90年に吉増剛三選でユリイカの新人に。以来今日まで、詩、短歌、小説など多岐にわたり発表している。
とても遥かな、温度のない、ひらけすぎた場所に放り出されるような。そしてそこに絶えず吹く、風。彼女の作品を通して、昔も今も変わらずに抱くイメージだ。
さようなら
あとはのどかな
風となる手よ
さやさやと心は
空よりも透きとおって
たなびいてゆく(青木景子「道の途中で」所収『別れ』より)
私はいつか生き生きとした五月の
風に似たい(青木景子「犬は遥かな風を知る」所収『五月の庭』)より
「似たい」という表現は、「なりたい」というよりも、より憧れの強さを宿すように思う。完全に同化することは不可能でも、それでもできるだけ似通いたい、という想い。初期の詩編には特に、風や透明なうつくしいものへの憧れがあふれている。
風を知る風をその身にすまわせるものだけがいま風を見ている
(歌集「風の吹く日にベランダにいる」より)
詩歌集発行年や受賞歴を見ると、「青木景子」と「早坂類」をしばらく平行して使っていたようだ。完全に「早坂類」へと改名する際に書いたのであろう文章があり(2000年前後だろうか)、その中に次のような一節がある。
“私は以前、涼し気な一本の樹のようなシンプルな風景が好きだったのにこの頃はほの暗くて包むような湿度のある場所に茂る植物が頭をよぎる。意識の下のずっと深いところにそんな植物が育ってきたみたいに。そういう何気ないイメージが人をゆっくり根こそぎ変えてゆくんだと思う。”(HPより引用)
その言葉の通り、作品にはだんだんと薄暗い死や滅びのイメージが目立ち始める。
“〈越えがたい死魔の領域〉という沼に生い茂ってゆけ夜の羊歯類”
(「風の吹く日にベランダにいる」より)など、もともと早坂類名義で発表していた短歌にはその片鱗が見て取れる。
しかし、彼女は、透き通った風の吹き渡る場所を捨てたわけではなく、そこに行き着くために血を流さざるを得ないものを無視できなかったのだろう。それゆえのあえての破壊衝動のようなものが、それから先の作品にはついてまわる。そして一切の夾雑物を剥いだような、より透き通った世界が立ち上ってくるのだ。
殺しにおいで
殺しにおいで と
とうに死んだ男が私の夢の中で言う
何処にもいない男を
まっ青なあをぞらの下で 三千回 突き殺す(詩とメルヘン2001年6月号所収『透明な雪が降ってくる』より)
壊れてよ もっと壊れて どこまでも壊れ果ててよ 解体屋です
(歌集「ヘヴンリー・ブルー」より)
透き通る殺意が降って湧くときに地の深みから沸き立つ光
(歌集「黄金の虎/ゴールデンタイガー」より)
2009年に7年ぶりに出版された最新歌集「黄金の虎/ゴールデンタイガー」の最後は、次の歌で締められている。
どんなにかはるかな場所から此処に来る風の吹く日のただなかにいる
この歌は、第一歌集の“どんなにか遥かな場所から僕にくる風の吹く日にベランダにいる”に応じている。風に始まり風に収束し、風に焦がれて風に似てゆく、彼女の作品世界をずっと見ていきたい。