ソネットの詩人
中也の詩は、書物の文字が皮膚に染み出ていくような現われ方ではなく、外部からやってくる〈虚無〉にみずからの言語の内臓を開いていった詩のように思います。青春という「日常」がなまなましくうたわれた詩であり、それへの共感を持つ人は多いと思います。
詩人にとって「詩語」とは、不安な感情で溢れているこの現実の断ち切られている言葉をまっくらな闇のなかから連結させていくこと、その人を詩人と呼ぶとき、その人は有限な時間のなかでは不在な人となっているのかもしれない。なぜなら詩作するものが、詩語を身体に装うとき、詩人の言葉は安定した時代の歴史には組み込まれはしないものだからです。さて、中也のソネットからその代表的な「朝の歌」を引用します。ソネットの形は4.4.3.3.です。第三連八音一句を除いてすべて五七調で統一されています。脚韻は「し」「なし」「かな」「ゆめ」などです。詩形の整った作品です。
「朝の歌」
天井に 朱きいろで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなす なにごともなし
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦んじてし 人のこころを
諌めする なにものもなし。
樹脂の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森並は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。