十番 トランプの顔
左
トランプの王家のかほの夜長かな 武田肇
右勝
トランプのジャックの顔のいなごかな 石田郷子
両句、言葉の並びが全く同じなのにびっくり。にもかかわらず、言葉が価値を生む構造は大きく異なっている。そこが興味深い。
左句の手柄は、ひとえに「トランプの王家」という言葉を発見したところにあろう。富澤赤黄男に、
賑やかな
という高名の作があるが、左句における王家も賑やかでさみしい存在に思われる。下五の「夜長かな」は、その雰囲気を助長する適切な斡旋。
右句の妙味は、「トランプのジャック」と「いなご」の間で見出された顔面相似形の意外性と説得力にある。トランプの札を見ているうちにイナゴを思い出したのか、イナゴの顔を見ているうちにトランプの顔に見えてきたのか。いずれにせよ「トランプのジャック」は、「いなご」の顔を形容する比喩としてとても新鮮だ。
右句は「いなご」という実を軸にした手応えが、飛躍のうちに安定感をもたらしている。左句の「夜長」は実というよりはもともと相対的な感覚に依拠した季語であり、一句は地に足の着かない浮遊感のうちにたゆたっている。どちらを採るかは読者の好みによるとしか言いようがないが、制作時期のプライオリティにより右勝。
季語 左=夜長(秋)/右=蝗(秋)
作者紹介
- 武田肇(たけだ・はじめ)
一九四四年生まれ。詩人。詩集多数。掲句は第四句集『ダス・ゲハイムニス』(二〇一一年 銅林社)所収。
- 石田郷子(いしだ・きょうこ)
一九五八年生まれ。「木語」の山田みづえに師事。掲句は、第二句集『木の名前』(二〇〇四年 ふらんす堂)所収。