ステーション・エデン 杉本徹
移りゆく日付は彗星から来た。歩道橋より垂れて滲むラテラノの光を踏み、環状道のさす夜光性
むろん昼と夜の刹那すれちがう自動ドアの(・・・映る頬の)、薄い皮膚に、消
え失せた日付ののこす波紋を、信じて。舌のかたちの救命具、もしくは声の糸
つたう雑居ビル裏口を過ぎて。店の名を、5月の迷い、と読みあやまるとき、
破風に気づく。破調の風の、一縷の影に。
こんな、風の音は抜殻だから! わたしたちの瞑る眼の、涯ての野、たとえば
無人の私鉄車両に、灰の林檎を。
灰のステーション・エデンに、あくる夜の切符を。
やわらかな雑踏とともに昨日は紛れた。駐車場の人形は地下の収支を語った、
古着のような釦ほどの空、その所在はついに
*
布切れにひとしく青の時代は放られた。燐寸と
泣き交わし、夜のグラウンドにすら落ちて。
*
昼に睡りを写した鉛筆のこと。距離の罅にまどい、命数に傾く鉄路を描きそえ
た。カラカラと、あの太陽のころがるにつれ。
「ステーション・エデン」 思潮社 2009年
彗星に出会いたいなら、降るものを受け取りたいなら、まずその彗星が見える側の半球に行くことだ。
「ステーション・エデン」という、その半球に足を踏み入れると、冷たい恩寵のように、彗星の「時間」が降って来る。それは美しいが捉え難い、光と影を曳いて移っていく生物。気がつけば、私たちはただ見上げ、見送るだけだ。
その速度を測ることは可能だろうか?環状になった道路が示す方向に群れをなして走って行く夜光性鹿たちの背を数えることで、あるいは可能かもしれない。鹿たちは砂時計の砂が落ち続けるように、際限なく移動していくから。
そして私たちが呼ぶところの「過去」とは、生物が優雅な仕草で脱ぎ捨てる衣だ。雑居ビル、駐車場、オフィスのマネキン、全ては衣の下で塵となり、風に紛れていく。「布きれにひとしく青の時代は放られた」。古い文学の時代も終わった。
灰塵の中に燃え残ったような駅がある。「灰のステーション・エデンにあくる夜の切符を」。出発の切符はあくる夜のもの。まだ現在は無効だ。生まれたばかりの詩のように。
「消え失せた日付ののこす波紋を、信じて。」と囁く声がする。地の記憶を慈しむ声だ。その声の力を私たちも信じている。私たちも風化する塵であり、水の模様のように消える声の一つであるけれども。