かなしみのみなもとのひと遠い空にひとりいるから孤独ではない 谷村はるか
『ドームの骨の隙間の空に』(青磁社刊、2009年)より。第Ⅰ部の2番目の一連25首の中にこの一首はある。その一連のタイトル「ドームの骨の隙間の空に」が、そのまま歌集のタイトルとなっている。谷村はるかさんは、最初は仕事の関係で広島に住み、途中で仕事を辞めて、なおも広島という街に惚れ続けたがゆえに広島に居残った。それが第Ⅰ部の歌群の源泉である。したがって、彼女の詠む広島は、その地から離れて暮らす者や旅行者としてその地を通過したにすぎない者が、もっぱら歴史上の物語として、あるいは平和の符丁として詠む「ヒロシマ」ではない。しかし、その地の歴史的社会的性格からして、ただ単に今日の広島の街が詠まれているのでもない。そのはざまを詠う作品群である。《ヒロシマは夏の季語かと問うサラに冬には詠まぬわれを恥ずべし》(小川真理子)《夏が来るたびに箱から取り出して日本人はみなヒロシマが好き》(松村正直)というような自省や批評に対して、谷村さんが身をもって示した応答がこの歌集の第Ⅰ部である、というふうにも言えるだろう。
《八月以外の十一か月の広島にしずかな声の雨は降りくる》《誰も誰も誰かを欠いたあの日からこの街に無傷の人おらず》《声がするドームの骨の間(あい)の空その手を離してはいけないと》《いっそまったく違う街になってしまえば 何度も何度も咲く夾竹桃》というような歌が並ぶ一連のラストに近いあたりに、この《かなしみのみなもとのひと・・・》の一首が来る。この一連中に置かれた時、この歌の「遠い空」は広島の空であり、「かなしみのみなもとのひと」は「あの日から」欠けてしまったひとである。「孤独ではない」とわざわざ詠うのは、傷を負った者以外ではない。
だが、この《かなしみのみなもとのひと・・・》の一首を、一連から独立した歌として読むならば、読者はそれぞれに自らにとっての「かなしみのみなもとのひと」を思い、そして「孤独ではない」と詠いとどめられて深く慰撫されるだろう。実は、僕自身もまたそのようにしてこの歌の力によって救われた者の一人であり、この歌は僕にとってのたましいのおまもりのような一首になったのだった。しかし、この歌の持つそうした力は、あくまでも谷村さんにとっての広島に由来するものなのだ、ということをも繰り返し思う。歌会のような場で、ややもすれば瑣末な修辞の良し悪しだけに関心が向いてしまいがちな時に、僕はいつもこの谷村さんの作品群を想起するのである。