新井高子「ガラパゴス factory 15」
茶飲みばなしだろ!、景気って
お伽ばなしだよ!、株相場は
やらかしてよ
もっと、揶揄化してよ
うんざりだね
黒づくし、ユニクロづくしは
(中略)
放りっぱなしだろ!、核分裂も
野ざらしだぞ!、原発ドームの 胎内も
燃料棒が、安全帽が、卵細胞が、けちん坊が、どろぼうが、
堤防が、陰謀が、官房が、
東電が、
ユニクロ着込んで
防御する、
津波
コンドームで
発電する、
半減期
で いいのか?
わたしたち
(「ミて」115号所収、2011年6月)
私はこの詩を、二度読みました。
一度目は新井高子さんご本人が編集・発行する「ミて」という詩誌において。
二度目は「現代詩手帖」12月号に収録されている「2011年代表詩選」と題されたアンソロジーの中で。
アンソロジーには、この一年間に詩集や詩誌、新聞や文芸誌等で発表された詩の中からセレクトされた140篇の詩が並んでいます。
そこには当然のことながら、3月11日以前に書かれたものと以後に書かれたもの、「震災」へのリアクションとして書かれた詩と無関係の詩とが混在しています。
けれども読者である私は、そこにあるすべてを2011年12月の目で見てしまう。
「死者」だとか「海」だとか「大地」だとか「土」だとか、そういった比較的詩に多く登場する語のひとつひとつに対して、以前とは別の仕方で反応してしまうのを感じます。
そのような目で140篇を読み通したとき、この詩篇がほかのどれよりも強く印象に残ったのでした。
「茶飲みばなし」から「お伽ばなし」へ。
「やらかしてよ」から「揶揄化してよ」へ。
「黒づくし」から「ユニクロづくし」へ。
ある言葉との音韻的類似によって別の言葉が引き出される、たどたどしくも軽快な言葉遊びはやがて穏やかではない言葉を引き連れてきます。
「核分裂」「燃料棒」「東電」。
使った瞬間に詩が窒息してしまいかねないそれらの語は、言葉の遊戯的使用を口実にして出現を許されているかのようです。
「原発ドーム」という二重に不穏な語が「コンドーム」へと接続するとき、ほとんど笑えない引きつった笑いがこみあげてきます。
このような詩を、不謹慎であると、私は感じます。
そしてまた、不謹慎な詩があまりにも少な過ぎるのではないか、と感じています。