日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/02/02)

発電炉しづめしみづがおもおもと波押しわけて海にもどりゆく

川島喜代詩『星雲』(昭和五八年刊)

掲出歌は、今度の原発事故とは関係がない。でも、これを読んだ時は、はっとした。いつの、どこの出来事か、私はわからないが、まるで昨年のことを何十年も前に見たかのような歌だ。分かち書きにしてみる。

発電炉 しづめしみづが
おもおもと
波押しわけて 海にもどりゆく

こうして見てみると、三句めの「おもおもと」が、まるで一首の真ん中に重石を置いたかのように「おもおもと」して効いていることが、よく分かる。結句の「海にもどりゆく」の八音、この一音字余りが、鈍重な水の動きの活写に効き目を出している。丁寧に読んでみると、言葉の一音一音と、イメージの重ね合わせの妙を感じ取ることができるのではないだろうか。

打ちあげて退きたるのちの沈黙を消してふたたびとどろく波は

静かでゆったりとした、自然の波の動きに同化したような調べを持つ歌である。読みながら、その情景を思い浮かべる。これも分かち書きにしてみる。

打ちあげて、退きたるのちの 沈黙を
消して ふたたび
とどろく波は

「沈黙を/消して」と、「ふたたび/とどろく」というように、二回連続して句またがりになっている。その声調は、まるで退いた波がふたたび高まって、どおんと砕けるさまを写したかのようだ。これが言葉における「写生」ということである。作者は、佐藤佐太郎門の歌人である。この人は、佐太郎詩学の神髄をつかんだ一人であろうと思う。

たはやすく連帯をいふこと勿れ人の嘆きのひとざまならず
しづかなる午後と思ふに奥入瀬のみづに捲かるる落葉かぎりなし

「たはやすく連帯をいふこと勿れ」というのは、同情する心が深いからこそ、こう言うのだ。きまじめな倫理的な歌だと思う。この歌のようなことを言うと、今はすぐに、そんなことはないといった子供の感想の言葉が返って来る時代だ。「人の嘆きのひとざまならず」という場所で、じっと立ち止まることも大切なのである。

私はあの地震のあと、東日本の地名を読んだり聞いたりするだけで、微妙に心がゆらぐようになった。いま二首めの歌の奥入瀬という地名が、なぜかとてもいとしく感じられたので、引いてみた。

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