空襲警報の解除になりし夏空に忽ちにして閃光走る
鶴見橋を走る閃光落下傘三つが夏の澄み空に浮く
一瞬の閃光と地響ききのこ雲八月六日われ広島にあり
『川口常孝全歌集』所収(砂子屋書房・二〇一〇年九月刊)
川口常孝の歌集『兵たりき』を私はこの全歌集に接するまで、不覚にも知らなかった。本を開くや、その苛烈な戦争体験と、広島における原爆の惨禍に接して作られた一連に衝撃を受けた。しかし、作者は、ことさらにそれらの作品だけを取り上げられることを好まなかったのだという。繰り返すが、これらの作品がまず引用されるということは、学究として生き、また「壬申の乱」のような創作を行った作者の本意ではなかった。
とは言いながら、これほど徹底的に戦場や原爆の生み出した光景を記録した作品は、またないのではないか。戦争と短歌文学と言うとき、渡辺直己や宮柊二の名はしばしば語られてきたが、(宮柊二に至っては歴史の資料として引用されるまでになっているが)、川口常孝のこれらの作品は、今後もっと読まれなくてはならないものだと私は思う。
作者は、当時広島の陸軍病院の可部分院におり、被災後ただちに救援部隊の一員として現地に入ったのだった。だから、これらの苛烈な描写は、どれも目の中に焼き付けられた実際の出来事の記録にほからない。
きのこ雲消え行くままに降り出でしこの黒き雨われらを襲う
火達磨となりし人体軽々と天空を飛ぶ竜巻に乗りて
重なりてのたうつ人ら何事の起こりしかさえ全く知らず
垂れ下がる皮膚重たげに持ち上げて人間ならぬ人々歩む
どろどろの死体次々踏み越えて至り着くべき所を持たず
爆心地に入り行くことの叶わねば手旗信号さよならを打つ
一連にはもっと凄惨な歌もあるが、それはあえて引かない。最後の二首、これは被爆者の方から聞いた事柄であるが、爆心地に近い所では死体で埋まった道を、死者を踏み越えながら夢中で肉親を探したのだという。これはなかなか人に言えなかったことである、とその方はあえて六〇年以上を経て証言された。その事実を川口は歌にしている。
さらにこの歌集には、日中戦争のさ中に経験した多くの理不尽な出来事や、苛酷な戦場の現実がうたわれている。その作品の価値ももっと顕賞されてよいものだ。