廃嫡者(エル・デスディチャド) ジェラール・ド・ネルヴァル
おれは「陰気」もの――「やもめ」――「慰められぬもの」
「城塔」も朽ちはてた アキタニアの貴公子
わが唯一の〈星〉は死に――きらめくリュートが
持っているのは〈メランコリア〉の〈黒太陽〉。
「墓」の闇の中で おれを慰めた人よ
返してくれポリシポを、イタリアの海を
悲しい心にかくもかなったあの〈花〉を
そして「ブドー」と「バラ」がからみあう あの格子棚を。
いったいおれはエロスかポイボス、リュジニャンかビロン?
額は女王のくちづけでいまでも赤いのに
セイレンの泳ぐ「洞穴」で夢を見た……
そしてアケロンを二度まで無事に越えたとき
オルペウスのたてごとに合わせて 交互に歌った
「聖女」の吐息と 「妖精」の悲鳴を。
篠田知和喜訳(『ネルヴァル全詩』1994年思潮社刊より)
ネルヴァルの代表作のソネットでタイトルには「エル・デスディチャド」とスペイン語が用いられている。
ところでプレイヤード叢書でアンドレ・ジッドがフランス詩のアンソロジーを編んでいるが、ネルヴァルはこの詩ともう1篇、「ダフネ」と題するソネットの2篇だけが採用されている。解説では、ネルヴァルの詩は非音楽的な屁理屈とまで言って、サンボリズムへのとばくちであるというだけの評価しか与えていない。文豪の眼から見れば、ちっさい、ちっさい、というところだろうか。開かずに終った蕾の扱いである。
この詩の本質をただちに納得するのはなかなか難しい。古い時代の栄華。カスティリアの王座を奪われ、《廃嫡者》とあだ名されたあのアキタニアの王子に似ているわたしは、唯一の星であるわが母は死に、黒い星の飾られたリュートで憂鬱な歌を奏でるしかない失意の血統の末裔。今はない美の精神が血の中に住み着いている…。
ネルヴァルの詩を解く鍵はネルヴァルの伝記の中にあるだろう。ナポレオン軍の軍医として従軍した父と、夫に従い戦地で若く病没した母。南西部ヴァロワ地方の旧家の叔父に養育された幼少時代。パリに出て父と暮らした青少年期。〈女の匂い〉を求めて東方への旅に出るが、女奴隷は買えても、生涯の伴侶を見出すことはできない。女性は2歳で死別した母のおもかげを宿してすべて幻影の中に住まう。ネルヴァルは戦争の犠牲者である。戦争によって家庭の愛情を根こそぎされ、頼れるものは血筋にまつわる想像上の幻影しかない。おまけに極度に繊細で感じやすく、善良な性格である。東方旅行の途中でウイーンで会ったピアニスト、マリー・プレイエルの「あの好青年ジェラールはどうしています?悪意など思いつくこともできない魂をもったあの優しい詩人がわたくしは好きです」という手紙の1文がそれを明かしている。
ネルヴァルの詩をあげるには「ファンテジー」のほうが分りやすいだろう。が、創造力の質はこの「エル・デスディチャド」が高い。この詩は暗闇の中から輝き出す欠落の美の極致だといえよう。ランボーが北の田舎シャルルヴィルで生れた翌年にネルヴァルはパリの街路で縊死している。翌年といってもランボーの誕生は10月、ネルヴァルの縊死は翌年早々の1月だから、ほぼ入れ替わりのような時差である。きみが生れたからぼくはもう行くよと言わんばかり。《Je suis l’autre》(わたしはもう一人の自分である)という言葉もこの二人の詩人に共通している。表現は対照的だが、現実の欠落を幻視で挽回せんとした精神は重なっている。