孤独な角度 須藤洋平
べろを出して死んだ若い女を見た時
初めて助かったのだと実感した
剥き出された雑多な想いは
浅い鍋にでもごちゃ混ぜに放り込まれ
ゆっくりゆっくり掻き回される
それが縁から溢れるたび
何度も何度も刺された
何度も何度も刺されて、
そそり立った
その孤独な角度が
今日も僕を昂ぶらす
そしてまた、
鏡の前に立ち
女の形相を真似ては
汚い言葉で
代弁し始める
朝日新聞2011年6月28日掲載
須藤洋平は東日本大震災を被災地現地で体験している。新聞の記事によれば、たまたま通院していたため津波から逃れることになったらしい。まさに偶然が運命を分けたのだ。
理不尽に命を奪われた者と偶然に生きながらえた者。生者はなぜ自分は死ななかったのか、なぜ生き残ってしまったのかを考え続けざるを得なくなる。おそらく第二次大戦(大東亜戦争)においても同様の問いが深く意味をもったに違いない。戦後詩、鮎川信夫の「遺言執行人」はそういう痛切な痛みや悔恨によって「たとえば霧や/あらゆる階段の跫音のなかから」「ぼんやりと姿を現」したのだ(詩「死んだ男」)。そういう観点から見ると、須藤の「孤独な角度」は、鮎川の「遺言執行人」に似ているとも言えるだろう。
しかし、決定的な違いがある。それは須藤のもつ何か原初的な暴力性やエロティシズムだ。理不尽不条理にもたらされたであろう死を晒している「べろを出して死んだ若い女」への作者の思いは、決して悟性へは傾かない。死によって露呈した人間の孤独。究極の姿に、かれは共振したのではないか。その局面において暴力とエロスが、彼にとってのリアルであり切実だったのだ。このとき悟性に救いは無かった。だからこそ、「女の形相を真似」ることでしか、死者の言葉(死者の失われた時間)を代弁することはできない。