冥界へも往ったり来たりそりゃあなた
石田比呂志歌集『流塵集』(二〇〇八年八月一七日刊)
日本の戦後詩の中で、お棺の詩というと思い浮かぶのは、田村隆一の「立棺」だ。あれにはどんな詩も及ばないだろうと、私は思う。だから、それは別格として置いておいて、石田の歌を見ることにしよう。ここで柩に入っているのは、特攻隊の若者たちの霊魂だ。何で空っぽなのかって、それは、少し考えてみればわかる。骨も残さないで逝ってしまったのだ、彼らは。すべてをお国のために捧げ尽くして……。見えない特攻隊兵士のひつぎは、虚空に遍満し、その辺を飛び回っているかもしれない……。ううむ、怖くて外を歩けないじゃん。
二首めは、おそらく斎藤史の有名な歌のパロディである。こちらは、どこか落語風ですらある。カルト教団の指導者などが、冥界と交信をして、いろいろと予言したり、教え導いたりすることができるのは、石田の言うように、それはそれは「自由自在」な境地に到達していらっしゃるからだろう。どうせ冥界と交信するなら、埴谷の小説『死霊』程度の節度があってほしいものだが、昨今のようにいろいろなゲームの中毒になって来ると、なかなかそれは難しいものらしい。
点滴の落つる雫の感覚と鼓動と時に合うことのあり
ほろ酔いの父は炬燵で唄ってた
まっ白い御飯に赤い梅干を埋めて
一首め。病気で入院して、こういう諧謔をたしなみとして持てる人を私は尊敬する。
戦争の先行きを知らされないまま、戦争中に中国、満州に移住した人は、大勢いたのである。作者はそれを憤っている。短歌は、そういったことを最後まで言い続ける器でもある。ゆめ忘れめや、ということである。作者は昭和五年生まれ。私の知っている昭和一桁は、みっともないことができない。最後まで一本筋を通さないと気が済まないので、生き方は不器用だ。だから、時流に乗っかって動くことを忌むのである。その結果として無名である、というような場合は、死後の顕彰が必要である。石田比呂志もそういう人かもしれない。
私ごとだが、昭和八年生まれの母をこの六月に亡くした。自ら律する、というところで、最後まで私など頭の上がらない母であった。