予定しておりました6カ月、6回が終わりましたので、第46回をもちまして、花鳥の「短歌時評」の執筆を終えさせていただきます。拙文をお読みいただきまして、ありがとうございました。
紙媒体の編集者をしていましたが、Web媒体に係わるのははじめてで、インターネットの最初から言われている「いつでも」「どこでも」「だれでも」「すぐに」の特長に加えて、「可変な量」を実感して感動いたしました。文字量が掲載可能であるだけでなく、内容の種類、量もいつでもいくらでも変えられるのはWeb媒体の大きな利点だと思います。
評論家の加藤典洋は『3・11死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)の「祈念と国策」の章の「注6」に、次のよう書いています。
「(前略)わかったことは、インターネットの言語圏に身を置くと、ますます、紙媒体のメディアの狭さ、公平性の欠如といった問題が、目につくようになるということである。このことは、一度、インターネット言語圏に身を置くと、もうそこから紙媒体の世界に舞い戻ることは、ほぼできなくなることを意味している。それほど、コントロールされない言論空間の風通しは、よい。確度と密度には欠けるが、情報の飛行距離、言論圏の広さにはただならぬものがある。(中略)
新しい電子活字メディアの世界には広大な可能性がある。とはいえ、まだまだその影響力は微々たるものである。この未熟なメディアに固有のいろんな問題がある。当面考えられるのは、紙媒体と電子活字媒体の両メディア相互の関係性をもっと密にし、そこに生まれる可能性に目を向けるという方向だろう。大きな課題をいま私たちはつきつけられている。(後略)」
加藤は基本的に報道や思想的言論の発信について書いていますが、加藤の挙げるかなりのことは俳句の、詩の、そして短歌の世界にもあてはまるでしょう。
「詩客」が発足してもうすぐ1年になります。ここしばらくのうちにその足腰がみるみる強く逞しくなってきたのが目に見えて、頼もしく思っております。「詩客」がますます広く、鋭く、公平に、公正に、頑健に成長していきますように。
ところで、私たちの作品や文章が「詩客」のサイトに掲載されるまでに、何人もの方々の手を煩わせています。現に、この文章は、第46回「短歌時評」の最後に置くべきだったところを、私がうっかりしていて今、このように改めて何人かの方に仕事をしていただいております。詩の、俳句の、短歌の発展のために、無償で毎日仕事をしてくださっている方々に心より感謝いたします。