雨をまつ椅子 鮎川信夫
雨は
乾いた椅子の上の
一個の石を濡らす
音を発してそれらは
鍵穴の中で
光ってゐるのだ
呪はれて
眠りの陰をあゆむ
罪の匂ひのするドアの背後では
なにごとも起こらず
午後四時はしぜんに消えてゆく
すると光たちは
虚空を滑って
気体のなかの透明な溝へはいる
あやまってランプを落し
風はどこからともなく忍びこむ
水平の皿のうへ
そこへも一個の石が転がり
突如 豪雨が襲ってくる
鮎川信夫はいうまでもなく、戦後詩の最も重要な詩人の一人で、その理論的主柱だ(この文章は詩に詳しくない人が対象なのであえて書く)。「死んだ男」「繋船ホテルの朝の歌」「橋上の人」など。戦後すぐに書かれた、戦後社会への違和を表明した詩が、戦争を経験した者たちの精神の荒廃を、鮮烈な言葉として刻み付けている。
鮎川はそのような強い印象を残す詩と同じ頃、戦争末から戦後すぐに、多くのすぐれた短い詩も残している、掲出の作品もその一つだ。これらの作品は、生死のぎりぎりを経験したものが、生きていることに感じる、否応のない矛盾を端的に捉えている。長めの作品よりも、むき出しになった傷のような精神が、感覚としてよく表れている。
掲出の作品を読むと、そのような感覚が意味と音が一体となって、描かれているのが分かる。詩は比較的短い行で成り立っている。はじめは「雨は」と唐突に切られる。その後の各行も、散文では切られない部分で断ち切れていて、読む者にばらばらにされるような、不安を感じさせる。
意味から見ると、雨音が光るという、極めて切り詰められた感覚が記され、「呪われて」「罪のにおい」などの言葉が、原罪の意識に触れる。さらに真ん中には、「なにごとも起こらず」という言葉が置かれ、あらゆるものが空無として消えていくようにも思える。最後の、「豪雨が襲ってくる」も、内面のカタストロフを見事に、言葉として表明している。