梢にて 江代充
おもてには木の枝の頂に
二つの鷺をのせてかさなる木の葉がしげり
かれらは道のうえの白いコサギを
いわば単一に低められたものとしてながめたが
板塀のある
わたり廊下の途中から梢のおくに色付き
それまで口にすることのなかった木箱の印象をいただけるのは
そこから道へ出た
ほかならぬわたしのなかに於てしかありえない
「梢にて」 思潮社 2000年
張り詰めた言葉が詩人の内省を映す。風景が停止しているのは、詩人の意識が時間を超越してしまっているからだ。空気までが夾雑物として排されたような世界。私たちが使い慣れた日常の言葉とは異なる、独特の言語構造は、この世界の支柱として生まれたのだろう。
「家の外には、厚く葉の繁る木があり、てっぺんの枝には鷺が二羽、道の上には小さい白鷺が一羽いる。枝の上の鷺たちは、ただ同類の一羽が低い場所にいるとだけ認識して、見下ろしている。
家は板塀に囲まれているが、渡り廊下の途中から鷺と梢が見え、
気になって、私は家の外に出てみた。すると三羽は身動きせず静止しており、例えるなら、剥製の鳥たちが木箱に入れられているような印象だ。私には、梢の奥に木箱が鮮やかに、実在する意味として見えてくる。鷺たち自身は勿論、他の誰もこんな風には感じないだろう。私だけが啓示を受け取っているのだ。今まで誰にも言ったことはなかったのだが。」
私なりの意訳をしてみた。これだけの内容が、たった1センテンスで表現されていることに改めて驚く。江代語という言語に触れて、敬虔な気持ちになった。
後記 2011年7月15日号 | 詩客 SHIKAKU - 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト
on 7月 19th, 2011
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[…] その時の詩集が江代充「梢にて」である。この名詩集から表題作を「日めくり詩歌」で紹介したので、御覧いただければ幸いである。現代詩を読みなれている方は全然驚かないと思う […]