いちまいの写真をえらぶ、選びたり。だんだんしーんとなりゆくこころ 小島熱子
「舟」18号(2011年6月)
「舟」18号(2011年6月)に掲載された「忘れうぞ春の」30首より。「いちまいの写真」とは何だろうか。連作中の一首だが、ひとつ前の歌は、《新緑のあかるき翳をおとのなく透明なるものよぎりてをりぬ》。それに続くこの一首を繰り返し読んで「しーん」としてくると、これは自分の葬儀の時に使う遺影を自ら選んだ時の歌であろう、という直感が来る。その一枚を選ぶということは、自らの死後の時間へわずかに手を伸ばす行為にほかならない。だから、「選びつ」、などというわけにはゆかないのだ。「えらぶ、選びたり。」というたゆたいが印象深い一首だ。《僕の撮った写真が遺影昼顔よ》(宮崎斗士、「朝日」2011.5.31[夕刊]「駝鳥サマー」15句より)という句を、「遺影」という語を使わずに詠めるだろうか、などと考えてしまった。