二十六番 語呂合わせ
左勝
秋の昼空虚空虚とペダルこぐ 土肥あき子
右
レプリカの巨鯨春風駘蕩区 佐山哲郎
左句は、自転車のペダルをこぐ際のきしみ音を「クーキョクーキョ」と聞きなし、「空虚空虚」という漢字をあてて表記した。空虚といっても虚無感といったネガティヴな気分ではなく、むしろ爽快な秋空のもとでの開放感が先に立つ。ペダルは軽やかに廻り、主人公は澄んだ秋の空気に身をまかせながら走ってゆく。空虚という言葉を呼び出している以上、主人公には意味にみちた充実を求める意識が全くないとはいえないであろうし、その意識は自らの空虚さに対する淡い哀しみをともなっているかもしれない。とはいえ、ここではさしあたりその空虚な時間さえもが、からりとしたユーモアのうちに肯定されている。
右句の「レプリカの巨鯨」とは、台東区上野公園にある国立科学博物館で屋外展示されている、シロナガスクジラの実物大オブジェのこと。あたりは桜の名所でもあるわけだから、暖かくなってそろそろ桜もほころびはじめる頃だろうかと、散策にでも出たものだろうか。あるいはすでに桜は散ってしまった後かもしれない。いずれにせよ、花見時の上野公園の雑踏を考えると、この句ののんびりした空気は桜の花ざかりの時期にはふさわしくない。「春風駘蕩」を「台東区」に掛け合わせた「春風駘蕩区」の駄洒落は、シンプルにして巧妙な仕掛けで、よく内容に合っている。
どちらも面白いが、右句は上野公園の様子をよく知っていないと充分に楽しみきれないかもしれず、左句の方がなんとしても普遍性に勝っていよう。よって左勝。
季語 左=秋の昼(秋)/右=春風(春)
作者紹介
- 土肥あき子(どい・あきこ)
一九六三年生まれ。「ににん」同人。掲句は、第一句集『鯨が海を選んだ日』(二〇〇二年 富士見書房)所収。
- 佐山哲郎(さやま・てつろう)
一九四八年生まれ。公開中のスタジオジブリ作品『コクリコ坂から』の原作者。掲句は、
第三句集『娑婆娑婆』(二〇一一年 西田書店)所収。