無題(ナンセンス) 吉原幸子
風 吹いてゐる
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
風 吹いてゐる 木 立ってゐる 音がする
よふけの ひとりの 浴室の
せっけんの泡 かにみたいに吐きだす にがいあそび
ぬるいお湯
なめくぢ 匐ってゐる
浴室の ぬれたタイルを
ああ こんなよる 匐ってゐるのね なめくぢ
おまへに塩をかけてやる
するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる
おそろしさとは
ゐることかしら
ゐないことかしら
また 春がきて また 風が 吹いてゐるのに
わたしはなめくぢの塩づけ わたしはゐない
どこにもゐない
わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて 流れてしまったの
ああ こんなよる
戦後の女性の詩、二人目は吉原幸子。前回の新川和江とは詩誌「ラ・メール」主催のパートナーである。「ラ・メール」が、日本の詩に多くの女性の詩人を系統的に紹介したという、功績は実に大きいが、語ると長くなるので掲出の作品に移る。ただ、「ラ・メール」は戦後詩における意味だけでなく、吉原のコーディネーターとしての才も、表していたことだけは記しておきたい。
掲出の作品は前回同様(というより「日めくり」で紹介するのはほとんど)、いわずと知れた、戦後詩の傑作のひとつである。一九六四(昭和三九)年に出版された、第一詩集『幼年連祷』(歴程社)が初出。吉原は三十二歳で、幼年の意識と、それを客観的に見るもう一つの大人の意識の、二つの視点によって詩は成り立っている。みずみずしい感性と、それを客観視する目。あるいは、若いころ女優だったこともあり、幼年を演じる「わたし」と、それを見る「わたし」といっても良い。「無題(ナンセンス)」という題もぴったりする。その接点が空白、「ないこと」を呼び込む、「わたしはなめくぢの塩づけ わたしはゐない/どこにもゐない//わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて 流れてしまったの」という部分が、詩の中心といえる。いわば、幼年の「わたし」を埋葬しているのだ。
リズムは、正教会の祈りの歌の形式のひとつである、「連祷」という詩集の題名が記す通り、祈りの詠である。言葉は全体にわたり語りかけだ。そして、対句によって書き出され、一連はすべて七音に収まる。吉原の詩全般の特長でもあるか、このような七五調の多用は、言葉の動きを子守唄にも似た、落ち着いたリズムにする。そのリズムが失われた時間に対する、祈りにも似た哀しみとして、読むものに響く。言葉の繰り返しや短い切れは、読むものの記憶と共鳴し、哀しみは吉原個人のものではない。