シジミ 石垣りん
夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜がアケタラ
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすらと口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった
今回は戦後詩の女性の詩人の3人目、石垣りんを取り上げる。これもまたあまりにもよく知られた作品である。
私は決して石垣のいい読者ではない。もちろん、だいたいの作品は読んでいるし、掲出の作品などいくつかの代表作は記憶に残っている。
とはいえ、好きで何回も読み直した詩人ではない。ところが、先日新川和江さんと話した時、「戦後の女性の詩人で誰が一番読まれるべきか」という、内容になった。新川さんは迷わず、石垣りんをあげた。「石垣さんの詩は詩人に向けてではなくもっと広い層に向けられている。それでいて詩としても奥行きが深い」、というのがその理由だった。確かにそれはいえると、石垣の詩を少し読み直してみた。石垣はアカデミズムからは程遠い。14歳で銀行の事務員として働きはじめ、定年まで働きながら詩を書いてきた。いわば、石垣にとって詩は生活の一部であり、生きていくリズムそのものだった。
しかし、詩は生活のリズムであればいいというものではない。それが単なる生活の感傷になってしまっては、詩はだめになってしまう。そのような詩はいくらでも書かれている。そのような詩と石垣の詩はどこが違うのだろうか。多くの詩は正しさによって書かれている。最近爆発的に売れた高齢の女性の詩は典型的にそうだが、このような詩はその正しさがゆえに、浅い救いや表層的な共感で終わってしまう。石垣の詩は違う。掲出の詩に典型的に現れているが、その基本は悪意だ。「鬼ババの笑いを/私は笑った。」という部分は、実に見事な悪意だ。
掲出の作品は1962年に刊行された、第二詩集『表札など』(思潮社)に掲載されている。ちなみに、同詩集は翌年のH氏賞を受賞している。石垣は42歳で、勤めはじめてから28年。詩の根底にある冷めたユーモアの視点は、そのような日々の生活から生まれたのだろう。
反面、ほぼ七五調に近い、日本語の律に逆らわないリズムだ。そのようなリズムが引っ掛かりなく流れていく。とはいえ、読み終わった時に引っ掛かりがないわけではなく、グロテスクなユーモアを孕んだ、強い悪意のイメージがつよく残る。しかも、その悪意は他者にではなく自らに向う。悪意は他者に向かえば保身的な批判になりかねないが、自らに向うなら、存在への根本的な批判、問いとなる。「うっすらと口をあけて/寝るよりほかに私の夜はなかった」という結びの二行は、存在のむき出しの孤独が、言葉の動きとして伝わる。