三十五番 和樂
左持
一幕はうなさか青き初芝居 天野小石
右
山藤の大海原へ懸かりけり 長谷川槙子
小学館発行の月刊女性誌「和樂」が、創刊十周年なのだそうである。〈日本中から本物だけを集め、正統なスタイルと美しいビジュアルでお届けするハイクオリティマガジン〉というのが編集コンセプト。個人的にはいささか苦手な世界というか、はっきりいうと嫌いですね。この手の「本物」とか簡単に言い切ってしまう姿勢は、いわゆる“俳句のようなもの”作りに精を出す身としては到底受け入れがたい。
今回の左右両句が載る句集はともどもある意味たいへん和樂っぽいのであるが、それはモティーフの話で、上記のような姿勢の問題とはかかわらないので、好きとか嫌いとかは特にありません、念のため。さて、和樂っぽいとはどういうことをさすのか。まず両作者いずれも一九六二年生まれの中年女性で、作品から読み取れる限りでは中流の上以上の暮らしぶり(実際はわからないが)で、和風伝統文化大好きです、みたいな雰囲気を漂わせているのは、まさに「和樂」誌が想定する読者像そのものであろう。あまつさえ右句の作者は鎌倉在住。左句の作者の住まいは都内のようだが、〈学生時代を京都で過ごし、現在実家が鎌倉にあるので、京都には毎年、鎌倉には毎月のように通っています〉(あとがき)という次第。ちなみに、左句を収める句集の巻頭句は、
書院開きて相州の初山河
であるし、右句のそれは、
初釜の音渾身で聞いてをり
なのだからして、最初から和樂全開である。これに限らず、谷戸(鎌倉に特有の細い谷)でどうしたというような句が両句集にはたくさんある。相違点であるが、左句の作者は古美術好きでねっとりした情念系美学への志向があるのに対して、右句の作者は自然の中へ自己開放しようとする気息が強いようだ。情念系とは例えば、
初蝶のやぐらの闇を剥がれ来る
黒髪は血潮の果たて雪舞へり
のような感じ。自然への自己開放とは、
漣の現れて来し花筏
閉ぢし翅左右に吹かれ秋の蝶
のような凝視を通じてのものだ。左右の掲句は海原の青を共通項として選んでみた。どちらも姿の整った佳作ながら、ここでも芝居の装置としての人工の海と、現実の自然の海という形で両者の個性が分かれているのが見て取れる。個人的好みは右句に傾くものの、持としておきたい。なにしろ和を以って貴しとなす、ということで。
季語 左=初芝居(新年)/藤(春)
作者紹介
- 天野小石(あまの・こいし)
一九六二年生まれ。大牧広、有馬朗人に師事。「港」「天為」同人。掲句は、第一句集『花源』(二〇一一年 角川書店)所収。
- 長谷川槙子(はせがわ・まきこ)
一九六二年生まれ。大輪靖宏、鈴木貞雄に師事。「若葉」同人。掲句は、第一句集『槙』(二〇一一年 ふらんす堂)所収。