日めくり詩歌 俳句 高山れおな(2011/10/28)

四十番 品川の鯨

江戸に鳴る冥加やたかしなつ鯨 素外

品川の富士もくぢらもいまむかし 西原天気

西原天気の句集『けむり』(二〇一一年 西田書店)を読んでいたら右句に出会った。それですぐに左句を思い出した。というとなんだか物知りなようだが、じつは先日たまたま読んだマンガに、この句が出ていたのである。谷口ジローの『ふらり。』(二〇一一年 講談社)がそれで、蝦夷地測量に出る前の伊能忠敬が、江戸の町を歩測して廻る日々のあれこれを描いている。俳句がらみでは、全然“らしくない”小林一茶が登場する他、掲出の谷素外の句が刻まれた鯨塚を忠敬夫妻が訪ねるシーンがある。

寛政十年(一七九八)五月一日、おりからの暴風雨に一頭の鯨が品川沖に迷いこんだのを、漁師たちが船を出して天王洲に追いこみ捕獲した。これが江戸中で大評判となり、見物人がひきもきらず、ついに浜御殿まで引っ張ってゆき、将軍家(徳川家斉)の上覧に供する騒ぎになった。長さ十六メートル強の鯨だったらしい。上述の鯨塚は、この一件の記念碑兼供養塚で、品川区東品川一丁目に現存する由。句の作者である素外は、大阪出身ながら江戸に出て談林派の宗匠として門戸を張っており、文政六年(一八二三)に、九十歳ないし九十二歳という高齢で没している。編著が多数あり、寛政十年の時点でも古稀に近いから、時の江戸俳壇の長老の一人だったわけだ。

左句の「鳴る」「たかし」の語は、鯨の潮噴きに掛けながら、この鯨が江戸に名を轟かせたことを指しているのだろう。ところもあるに花のお江戸を死地として評判を取った果報者の鯨よ、という程の句意か。もちろん同時に、それ程の冥加(神仏の加護)を得た鯨なのだから成仏間違いなし、くらいの気分もありそうだ。西原の句はもちろんこの一件を踏まえながら、往時渺茫の思いを軽やかに詠んでいる。時代が違いすぎるから、勝負はなし。

右句が載る『けむり』は、西原が以前出した『人名句集 チャーリーさん』(二〇〇五年 私家版)の傾きっぷりからすると穏当な句が多い。もちろん、

蜂かたりかたりパズルの絵を歩む

のような、一見まじめな写生風を装ったふざけた句とか、

かはほりの漂ふチークダンスかな

なんか変な具合にいいムードの句とかがあって楽しめる。

濡縁にロシア貴族のような蛾が

も、決まってるし、

秋ゆふべ砂鉄のごとく惹かれあふ

には、微妙に作者の本気感を感じる。

伊予柑のやうな書店のおねえさん

こんなお姉さんがいる書店なら本を買いに行ってみたいものです。

季語 左=夏鯨(夏)/右=鯨(冬)

作者紹介

  • 谷素外(たに・そがい)

大阪の商家出身で、家督を弟に譲り、俳諧師となる。涼袋門ついで蒼狐門。江戸談林宗家の七世を継ぐ。家集に『玉池発句集』(文政三~六年)。

  • 西原天気(さいばら・てんき)

一九五五年生まれ。一九九七年、「月天」で俳句を始める。「麦の会」「豆の木」などに在籍した。上田信治らと共に「週刊俳句」を運営。

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