日めくり詩歌 自由詩 森川雅美 (2011/11/21)

卵のふる街  白石かずこ

青いレタスの淵で休んでると
卵がふってくる
安いの 高いの 固いたまごから ゆで卵まで
赤ん坊もふってくる
少年もふってくる
鼠も英雄も猿も キリギリスまで
街の教会の上や遊園地にふってきた
わたしは両手で受けていたのに
悲しみみたいにさらさらと抜けてゆき
こっけいなシルクハットが
高層建築の頭を劇的にした
植物の冷たい血管に卵はふってくる
何のために?
〈わたしは知らない 知らない 知らない〉
これはこの街の新聞の社説です


 戦後詩の詩人というと、白石かずこを外すことは出来ない。

 白石というと長編詩の印象が強い。『聖なる隠者の季節』『砂族』『現れる者たちをして』など、輻輳する言葉のリズムが織りなす波が、異なる時間や空間を巻き込み、過去も現在も未来もない、永遠に向う広がりが魅力だ。その広がりに現れるそれぞれの人の生を、絵巻物を広げるように読むことができる。

 しかし、白石は最初から、長い詩を書いていたわけではない。1951(昭和26)年、早稲田の学生の頃に刊行した、第一詩集『卵のふる街』は、ほぼ三十行以内の短い詩で構成されている。

 掲出の詩はその第一詩集の表題作である。白石は北園克衛の「VOU」に所属したり、西脇順三郎に教えを受けるなど、モダニズム詩の影響が強かった。確かに言葉の動きやイメージの繰り出し方に、その様子が伺える。とはいえやはり戦後のしかも若い女性である、いわゆるモダニズムとは違い、言葉の動きはかなりはじけそうに元気だ。

 だが、時代は敗戦からわずかに六年しか経っていない。まだ時代は「荒地」や「列島」の頃である。このような詩は異質だったろう。異質ではあったろうが、時代の息づかいは捉えられている。若い意識が捉えた、敗戦からその後の混乱の時代の様子が、見事に事物を喩として描かれている。

 さらに、その後の長編詩に現れてくるような、広がりもはある。実にいろんな物がふってくる。「卵」だけでなく、「赤ん坊もふってくる/少年もふってくる/鼠も英雄も猿も キリギリスまで/街の教会の上や遊園地にふってきた」と、まるで世界が振ってくるようだ。また、リズムにしても、七九/八/四四八九とかなり破調だ。さらに詩が進むほどに、長短の落差は激しくなる。日本の詩とは違うジャズなどのリズムが、大胆に取り入れられている。

 しかし、結びはモダニズムの影響か、小さくまとっている。この結びがほぐれたところに、白石の、そして日本の詩の新しいうねりが始まる。

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