日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2012/01/19)

挨拶   富岡多恵子

みっともないから
きみは
喋ろうとしていた
おじさんは死ににいったし
おばさんは帰り道に死ぬだろう
どこかへつれていってよ
きみはこのごろ
老人になりそこなうことが多かった
それできみはたんに
酒が思いきりのめなかったのが心残りだと
シナの詩人のまねをして云った

 

男性の詩人が続いたので女性の詩人。富岡多恵子は現在は、小説家の重鎮として知られているが、1950年代の終わりに気鋭の新人詩人としてデビューしている。56(昭和31)年21歳の時の、第1詩集『返礼』で、H氏賞を受賞し、70年ごろまで、最先端で詩を書いていた。『返礼』には、表題作や「身上話」など、よく知られた当時を代表する作品も含まれている。「すると/みんなが残念がったので/男に子なってやった(「身上話」部分)のように、卑俗な言葉のリズムとエネルギーに溢れていた。58年というとまだ、「荒地」や「列島」の詩人、あるいはその後の「櫂」の詩人が中心だったので、その詩は新鮮で衝撃的だったろう。

掲出の詩は64年の第4詩集、『女友達』に所収されている。8年で4冊の詩集は驚きだ。代表作を取り上げようと思ったが、代表作ばかりでは芸がないので、今回は外してみた。しかし、掲出の詩も当時のしゃべり言葉を意識していて、語りの言葉の強さに満ちている。富岡の詩の魅力が充分に現れている。このような語りのリズムは微妙な定型の形と、ずれを繰り返すことで、言葉の振幅を増殖させていく。「七、三、五四、五六、五六五、七三、七……」と続いている。印象的なのは短い行と長い行を繰り返しながら、少しずつ行(息)が長くなっていく点だ。この長短の繰り返しのリズムは、富岡の詩の特徴といってもよく、読むものを高揚させる波動でもある。しかし、さすがに戦後の詩である。詩はけしってリズムにおぼれない、言葉を突き放すような切れ味があり、語りは主体と客体のあわいにある。このようなリズムは、伊藤比呂美や平田俊子などにも受け継がれている。富岡多恵子は日本の戦後詩の、ひとつの源泉といっても過言ではない。

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