明るすぎるわれらの疲れ 休息を許されぬ冬の噴水あがり 杉崎恒夫
『食卓の音楽』(六花書林・2011年)より。この歌集は、もともとは沖積舎から1987年に出版されたものの新装版である。この『食卓の音楽』に続く第2歌集、『パン屋のパンセ』と相前後して出されたことで、再読の機会を得た読者も多かったに違いない。作者の杉崎が高齢の人とは思えぬみずみずしさと叙情をたたえていた歌をつくっていたことは、わたしたちの、そうした年代層に対する先入観を再考するきっかけとなったと思う。作者は2009年に亡くなられた。この歌人の作品が死後に脚光をあびたという事実を、わたしたちはもっと悲しむべきかもしれない。
掲題の一首は「楕円の食卓」のなかの一首。この歌集に収められている歌におおよそ通底するデカダンな感触は、第2歌集での、いわゆる「杉崎マジック」とも評されるメルヘンな詩句の集合とは大きく隔たる。この歌集が編まれた当時の、杉崎恒夫の境涯を照らせば、国立天文台を退職後、「かばん」に入って数年が経過していた頃である。
杉崎自身は過去、結核による片肺切除を行っていて、絶えざる健康不安と他にはみられない死への強い意識、そして生への希求をもっていたことが知られている。この歌が詠まれた頃、バブル経済は頂点に達しており、その中で金賢姫による大韓航空機爆破事件、オウム真理教の設立、昭和天皇の健康悪化など、享楽のなかで暗い時代の始まりの萌芽が見られていた。短歌の世界では「サラダ記念日」がベストセラーになっていた頃である。
「明るすぎる」「疲れ」は、決して「われ」1人のものではなく「われら」、自分を含む複数名のものなのである。休息を許されぬのは人間ばかりではなく、夜も昼も人々を慰めるために吹き上げる噴水も休めないのであり、それはそのまま自分やその周囲の生き方を投影したものであったかもしれない。生き馬の目を抜くような時代にあって、なお一個の素朴な人間らしい生を見つめた杉崎の息吹が伝わってくるようだ。
それにしてもこの第1歌集が出版された当時、なぜもっと注目されなかったのであろうか。華やかすぎる時代、俵万智の『サラダ記念日』ベストセラーの時代、文学的不遇にあえいだ作家は杉崎恒夫だけではないはずで、その時代の盲目が惜しまれてならない。