日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/02/28)

朝ごとに厚き重石おもしをこじあけて黄泉よみがへりくる我のししむら

婚姻色の天魚あまごけばはらわたは渓のさくらのいろなして照る

花嫁のごとくひそかにかがやける夜の桜樹の下に立ちゐき

『米口 實歌集』(二〇一一年十一月・砂子屋書房刊)

石塚の下に葬られている死者がよみがえって、うつつの女人と一夜を過ごすという幻想を歌った一連から引いた。作者は大正一〇(一九二一)年生まれ。この一連をおさめた歌集『流亡の神』は、平成十九年刊。古代の王者の物語に仮託しながら、高齢の作者自身の復ち返りの幻と、浄化され、理想化された追憶の断片が、自然の美しさへの賛仰の思いを込めて混然と重ね合わせながらうたわれている。

輝きのいのち噴きあげ春ごとにおとろへゆくかわれも桜も
息ふれて恥ぢらふごとくひらきたる西行塚の花もまぼろし

作者にとって、花は一瞬のエロスを象徴するものである。また、集中の老いたる神の形象は、そのまま常住座臥死を意識する自らの姿とだぶって、存命の悲しみを伝える。そこに戦争体験の記憶がさしはさまれて、米口の作品をさらに重層的なものとしている。

戦ひの最中さなかに鳴きゐし野の鳥のこゑなど人は忘れゆくべし
フラッシュバックの残像のやう殺戮とみじかい愛の思ひ出などが

「戦ひ」の記憶は、加齢とともにきれぎれになってゆく。酸鼻な戦場にひろがっていた空や野原の記憶と、はじめて性愛のよろこびに触れた思い出とが、ある哀切さをともなって自分のなかに蘇る。このように、人は人生を生きている。米口實の歌は、生の時間を流れる一瞬の甘美な時をいつくしんでやまないのである。

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