日めくり詩歌 自由詩 渡辺玄英(2012/04/17)

層  位  Ⅱ      田野倉康一

のどかな土曜日のひるさがり 
一頭のしびれエイが泳いでいる
総ガラス張りの図書館の
中空に波を立て
しぶきを上げて、
それから不意にはねあがり
天井の
ベンチレーターに
消える
 
一瞬の空白

のちにはじまる透きとおった時間
あまたの書物は書架を抜け出し
いっせいに
文字を振り落とし浮上し
これまたつぎつぎと
天井に
消える
 
くろぐろと
リノリュウムの
床に散らばるおびただしい文字は
まばたきの間に層をなし褶曲し歴史の
高みへとのびあがり風化して
消える
流れおちるひとすじの喘鳴
 
そうして
静かになった図書館にひとり
オリジナルを欠いて
短足の詩人は目先の
複製にまどろむ

 

詩としては完成度が高くても、みずからへの疑念のない信仰のような作品には辟易してしまう。述べられる事柄や内容だけのことではない。そこで使われている言葉やイメージそのものへの、作者の批評的な眼差しがないものには魅力を感じないのだ。今回ここで取り上げる田野倉康一さんの「層位」は2003年末頃の作品。二部構成のⅡを紹介したい。

難解な言葉やイメージが使われているわけではないが、それだけに意識的な構成とそれを支える批評意識が冴えわたっている、と言っていいだろう。一連目、図書館にエイが浮遊している異様なイメージ。そのエイは、ベンチレーター(換気装置)に消える。第二連、書架から抜け出した書物たちも「文字を振り落とし浮上し」消えて行く。第三連では、床に振り落とされた文字が「まばたきの間に層をなし褶曲し歴史の/高みへとのびあがり風化して/消える」。つまり、おそらくこの無人の図書館から次々とエイ(イメージ)も書物(物質)も言葉(文字、観念)も消えていく。たくさんのものが消えていった。さて、何が残されたのか。

この喪失の空間に残されるのは、「オリジナルを欠いて」いる「詩人」。オリジナルが成立しない複製の位相に、わたしたちの現在を見ることができるだろう。さらにその見つめる詩人そのものが「オリジナル」ではないという重ねられる自己への不信の眼差し。幻想でしかありえないはずの第一連の「エイ」が妙な現実感と肉感性を持つだけに、エイが消失した空間に取り残された詩人はリアルでありながら空虚なのである。

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