日めくり詩歌 自由詩 森川雅美 (2012/04/30)

失題詩篇   入沢康夫

心中しようと 二人で来れば 
  ジャジャンカ ワイワイ
山はにっこり相好くずし
硫黄のけむりをまた吹き上げる
  ジャジャンカ ワイワイ
 
鳥も啼かない 焼石山を
心中しようと辿っていけば
弱い日ざしが 雲から落ちる
  ジャジャンカ ワイワイ
雲からおちる
 
心中しようと 二人で来れば
山はにっこり相好くずし
  ジャジャンカ ワイワイ
硫黄のけむりをまた吹き上げる
 
鳥も啼かない 焼石山を
  ジャジャンカ ワイワイ
心中しようと二人で来れば
弱い日ざしが背すじに重く
心中しないじゃ 山が許さぬ
  ジャジャンカ ワイワイ
 
ジャジャンカ ジャジャンカ
ジャジャンカ ワイワイ

「日めくり詩歌」も1年である。現代詩の名作を取り上げようという試みだったが、まだ入口のところでひとまず終了。

今回は私が大いに影響を受けた詩人の一人である、入沢康夫。入沢は1931(昭和6)年の生まれ。母子関係など、かなり複雑な幼年時代だったようだが、ここに詳述はしない。掲出の詩も、若い頃に失恋の理由で命を絶とうとした時の、実経験が元になっているとのこと。しかし、『詩の構造についての覚え書』の入沢のこと、どこまでフィションかは分からない。何はともあれ、掲出の詩は1955(昭和30)年に刊行された第一詩集『倖せそれとも不倖せ』に収録されている。敗戦から10年、砂川闘争が始まり、自由民主党が結成された年である。いわば、戦後の転換点。まだ人々が熱い激動の時代といえた。

詩の言葉もそのような時代の空気をまとっている。まず、「心中」という重い言葉に関わらず、詩はしゃべり言葉の軽快な様子ではじまる。さらに、それを引き継ぐお囃子が、より軽快な祝祭ともいえるリズムに、言葉を盛りあげていく。さらに続く「山はにっこり相好くずし」とくると、大地すらも動きだすという、実に軽快の極みといえる。リズムをたどると詩はお囃子を除けばほぼ七音の内、七から九音で成り立っている。そこにお囃子が破調を加え、おおきな揺れが言葉を運んでいく。さらに、題が「失題詩篇」というのだから、まさに天晴れともいいたくなる、人を食った詩である。

しかし、この陽気なリズムとは裏腹に、読後にはなんともいえぬ、静かな寂しさ残る。「ジャジャンカ ワイワイ」というお囃子も、よく読んでいくと、幕末の「えじゃないか」のような、陽気の中にも生きていくことの、深い哀しみが含まれたリズムだ。さらに、『曽根崎心中』の、かの有名な最終段すら思い浮かんでくる。「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば・・・・・・」こちらは、七五調である。「失題詩篇」は七七とお囃子というリズムに反転し、陰を陽に、暗を明に転化することで、新しい時代の哀しみのリズムを創ったともいえる。入沢の詩の出発であるのとともに。これもひとつの鎮魂歌だろう。

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