八十二番 燃ゆる
左
顔見世やもゆる泥濘踏むぞよき 中西其十
右勝
紅梅の落花燃らむ馬の糞 蕪村
前回に引き続き、蕪村×其十の句を合わせてみたい。
左句は、京都南座の顔見世興行への道筋の情景を詠む。「もゆる」は「萌ゆる」ではなく「燃ゆる」であろう。泥濘に街の灯が照り映えているのである。普通ならばただただ鬱陶しいばかりの泥道さえも、芝居へ向かう(あるいは芝居から帰る)弾んだ心には「もゆる泥濘」の輝かしさと熱とを帯び、「踏むぞよき」ものとなるのだ。
右句は濛々と湯気の上がるひりたての馬糞の上に、紅梅の花弁がはらはらと散りかかる場面。一種の幻想画を描き出しているわけだが、「燃たり」ではなく「燃らむ」となっているように、幻想は客観描写ではなく、それが幻想であるという認識のもとで呈示されている。炎のように赤い花びらと、ぬくぬくと湿った馬の糞がたてる湯気という、“奇想天外な醜美の対照”が印象的。
左句もすぐれているが、「顔見世」の歓びが「よき」を呼び出す理路よりも、異質なオブジェの出会いが生む感覚的陶酔を捉えた右句の方が一枚うわ手か。右勝。
季語 左=顔見世(冬)/右=紅梅(春)
作者紹介
- 蕪村(ぶそん)
超偉いので記述を略す。
- 中西其十(なかにし・きじゅう)
八十一番の本文に記したので記述を略す。