ジヨツトの壁晝の罅をつたひゆく晝の鼠に小さき齒あらむ 葛原妙子
『原牛』(白玉書房、1959年)より。
葛原はこの年までに、現代歌人協会の結成に発起人として加わったり、山陰地方、また北東北を旅行して連作を発表するなど、旺盛な作歌活動を続けていた。同じ時期、塚本邦雄とも親交を結び、季刊同人誌『灰皿』の創刊にも立ち会っている。
この年は皇太子がご成婚された年でもあって、日本は戦後の混乱を脱し、明るい空気に包まれ出していた。
葛原は緻密な写生のなかに、詩的ファクターを多分に取り込み始めたころであり、破調の歌の出現が著しい。自らの文体の模索をしていたのが明らかな時期である。
この歌は「ジョット」と鼠の取り合わせがまず印象的な歌だ。
ジョット(1267?~1337)は、中世イタリアの画家で、それまでの洗練されていなかったビザンチン芸術が支配的だった西洋絵画に、現実的、三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現をもたらした画家である。おおよそ、人物は、背景となる建物や風景との比例を考慮した自然な大きさで表現されているという。
こうした描写方法は、当時の描写法では革新的なもので、ジョットは西洋絵画の父と呼ばれている。絵画の世界に革新をもたらしたジョットに、葛原は自らを重ねていたのかもしれない。
しかし葛原はその壁画の全体を意味するものではなく、壁画の中の小さき鼠を見、その鼠がもつであろう、小さい歯を想う。
私の手元には、この歌が初出されたと思われる、同人誌『灰皿』の創刊号がある。
奥付は1957年7月発行とあって、A5版、52頁、右綴じ、表紙は透けるハトロン紙で覆われた上品なつくりの雑誌である。同人には葛原の他、森岡貞香、大野誠夫、香川進、近藤芳美、加藤克己、齋藤史、高安国世、鈴木幸輔、前田透ら、そうそうたるメンバーが名を連ねている。
ここで葛原は「風媒」とタイトルされた短歌十首を掲げており、そのなかに今回の歌の原型らしき歌がある。
ジヨツトの壁画の額をつたひゆく鼠よ白く小さき麺麭引き
『原牛』の収められた幻想的な歌とは異なり、ここでは鼠の凡庸な姿を描写する。
「つたひゆく」のも「罅」ではなく、「額」である。歌集に収めるに当たって、何らかの意図をもって大幅に改作したとみられるこの歌の意義というものは、改作自体にあるのではなくて、革新をもたらしたというジョットの絵画でさえも罅が入っている設定の転換による深化であろう。壁画の「罅」~表現というものの欠損、毀れを鼠がたどり、鼠はまるでその革新の欠損をあざ笑うかのように歯を見せる。改作後の非常な暗示力に注目したい。
葛原は自らの文体を絶えず疑っていた。疑いながら、さらに次のフェーズへと歩もうとしていたのではないか。葛原の文体への貪欲は此処にとどまらず、やがて『葡萄木立』『朱靈』『鷹の井戸』を結実させていく。