八十五番 雨燕
左
雨燕うつくし風を舞ふ柳 才麿
右勝
滝風に生まれて産んで雨燕 行方克巳
今回は当方の無知をさらすところから始めよう。「俳句」誌で「今月の10句」という連載を担当したことは前にも述べたが、そのうち五月号では右句を次のように鑑賞した。
滝風に生まれて産んで雨燕 行方克巳(『俳句』3月号「南米紀行」より)
「南米紀行」十六句は、タイトルの通り、南米諸国への旅から生まれた作。掲句他二句は、アルゼンチン、ブラジル国境に跨る世界最大の「イグアスの滝」を詠んだものであることが詞書からわかる。映像で見たことはあるが、なにしろ日本の滝とはスケールが違いすぎて現場に立った感覚などは想像もつかない。掲句は、親鳥が忙しく飛び回って、巣の中の雛に餌を運んでいるような情景を詠んだものだろう。中七の〈生まれて産んで〉が、歌謡調の節回しで心地よい。〈雨燕〉とあるが、雨が降っていたのではおそらくない。次句に〈滝飛沫なめて無数の蝶乱舞〉とあるところからして、まるで雨のように激しい滝しぶきだったのだろう。
さて、五月号出来の数日後、「俳句」編集部から、拙稿の雨燕について、アマツバメという燕がいるのだと高野ムツオ氏から指摘された旨、連絡があった。また、編集部で調べてみると、イグアス滝周辺にはオオムジアマツバメが生息しているらしいとのことであった。
ともかく、雨燕=アマツバメという種類の鳥がいるのを知らなかったのは当方の物知らずなのであるが、拙文を読み返すとどうもこれはこれで誤まりとまでは言えないようである。実際、ネットで調べてみると、イグアス滝の滝飛沫は一キロ先くらいまで飛ぶようなことが書いてある。作者としては細かい種類の別を言い立てるのもさることながら、濡燕に準じるような形で、雨(のごとき滝飛沫)の中の燕というところを言わんがために雨燕の語を持ち出したのであろう。その点に眼目が無いのであれば、下五は「燕かな」でも「つばくらめ」でも、一句は成立してしまうのである。従って拙文は、雨燕という種類の鳥の存在を言い落としている点がミスなのであって、鑑賞の方向性としてはこのままでOKなのではないか。
閑話休題。改めて手許の歳時記を見てみると、雨燕の語は、燕の傍題として必ず登場はしているものの、例句はほとんど見当たらない。角川の旧版の大歳時記にようやく見つけたのが左句である。
笹折りて白魚のたえだえ青し
蕎麦の花大和島根のくもり哉
など感覚性にすぐれた作のある才麿らしい句であろう。ただし、掲句についてはやや纏まりを欠くきらいはあり、この場合は右勝でよろしからん。なお、両句とも風と雨の字が対のようにして現れているのは、単なる種別ではなくやはり雨の燕ということが意識されているあかしのように思う。
季語 左右ともに燕(春)
作者紹介
- 才麿(さいまろ)
明暦二年(一六五六)生、元文三年(一七三八)没。蕉風初発の頃、同調する作風を見せたが談林風を脱しきれなかったとされる。
- 行方克巳(なめかた・かつみ)
一九四四年生まれ。一九九六年、西村和子と共に「知音」創刊。句集に『無言劇』『知音』
『昆虫記』など。