草むらに蛇苺赤し林中の暗きに向きて實を多くもつ 太田絢子
『南北』(1964年、白玉書房)、「渦」の一連より。
太田絢子は1916年(大正5年)、北海道に生まれた。やがて高校教師として教鞭をとるかたわら、「新墾」、のちに「潮音」に入社、やがて縁あって師の小田観螢の媒酌により、先妻を病で亡くした「潮音」主宰、太田靑丘の後妻へと入る。「潮音」の結社運営や、姑にあたる歌人・四賀光子、さらには先妻との間の三人の遺児との生活が始まった。北海道の広大な大地でいきいきと暮らしていた絢子の身辺は、この日を境にして180度転換を余儀なくされたのである。
『南北』を纏めた昭和39年、太田絢子は48歳、すでに世の多くの悲しみや喜びを見つめてきた年齢となっていた。太田靑丘のもとへ嫁いでからの日々は、良家の夫人としておっとりとした日々を過ごすような幸福な日々ではなかったに違いない。深い伝統を守る結社の中で、妻として、また母として役割を果たす心労は同年代の女性よりも多大なものであっただろう。しかし絢子は自らの境涯を強く見つめる。
掲げた歌は非常に暗示的な一首である。草むらの蛇苺は赤々と耀き、それは林の暗さの方へ向いている。だが、それは実を多く持つのだという。絢子の境涯に照らしてこの歌を読むとき、蛇苺は、明確に絢子自身の姿を投影したものであることが分かる。
暗鬱な状況にありながら、なお生き生きと耀きを放ってやまない赤い蛇苺とその実の多さ。絢子は異境の地にあっても自らの実りと耀きを信じてやまなかったのであろう。この「渦」の一連には他にも多く動植物が詠われる。
行きずりの手に觸るる園の百合の蕾光る堅さも彈みをも知る
裏山へ遁れるごとく出て聞けば小鳥らは短き聲をして啼く
目ざめあふ茅蜩のこゑ曉方にかなしきほどの高聲に啼く
オリオンも銀河も薄き空の下に波白くめぐりゐては匂ひを放つ
水引草の細長き莖がさすごとく息の苦しきわが前にあり
さびしげな歌が並ぶ。百合、小鳥、茅蜩、オリオン、水引草、いずれも淡く、はかなげなイメージを想起させるものたちがモティーフとして使われている。しかし、その具体の先を見てゆくと、百合の蕾は堅さと弾みをもち、茅蜩は高い声で啼き、星々は匂いを放つかのようなのである。不思議な存在の独自な強い感覚を絢子は動植物に見いだし、自らと重ねている。自然の強さを暗示的に描くことで、絢子自身の生の姿勢をかっきりと描きだしている一連となっているといえるだろう。
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