「平原にて」 及川恒平
平原にて山
ただ山見てあゆむ
胸つきぬけ川
真言のようにきみの名
春が呼んだ音をひとつ
うおもはなもわれも
聴く
天空より瀧
波をつれておちる
胸のおくに森
真言のようにきみの名
春が呼んだ水のひかり
むしもとりもわれも
あびる
CDアルバム『しずかなまつり』(2001年)より
思念的な現代詩の語法に浸かっている耳に、静かな衝撃をもたらす。言葉は名を言うことでもう十分なのだということをわたしたちは忘れていた。原始を思わせる単純さと地理学的壮大さは近ごろどこを探しても見出すことができなくなっている世界だ。ことに《真言》という言葉は、よくぞここにこの言葉を置いてくれたと言いたい。きみの名をわたしの真実として言う。女の子だったらここにじぶんの名を内緒で置いてほしいと願うだろう。
街がまだ山峡の集落であった頃のように、生活の場から一歩歩み出せば、とりわけ冬篭りがほどけ始めた季節には自然界の活動の復活のひびきが聞こえる。4,4,3,3はソネットの詩行だが、それを4,3,4,3と交錯させるように入れ替え、ゆえにソネットの叙情的な流れをまぬがれ、もっと根源的な息遣いへの還元力がもたらされている。
日本を洗濯いたすという坂本龍馬の言葉から敷衍すれば、現代人の精神の内側を荒縄のたわしでごしごしこするような詩行である。
そしてCDを聞くと、ピアノ伴奏の黄永燦の旋律が、及川恒平の詩の内部にねむる深い瞑想と抽象性を奇蹟的にひき出し、この詩を民俗(フォーク)的な位置から普遍(グローバル)的な抽象の次元へいざない、広大かつ透明な究極の結晶体としてさしだす。