理科室 金子千佳
あなたへの距離を綻ばせてみる
押し出された空気は
エーテルのように迷い出す
部屋に充満してゆく言葉に
あなたはもう火をかざしたりはしない
わたしの位置を辿ることができない
そのなかで語りつづけていく
そうやって盲いてゆく
あなたは盲いてゆく
わたしに言葉を宿らせるたび
あなたの瞼は閉ざされてゆく
その隙間へと
わたしはたどたどしく視線を結ぶ
けれどこぼれおちてしまう
わたしはあなたからほどけている
あなたをいくたびも失くしている
膝の上
肩の上
頬の上へとうつろう
あの日だまりの位置で
あなたをわたしへと閉じ込め
その体温をつなぎとめていたのに
あなたは暗がりの角にうずくまる
もうはかれない
揺れ動く物の影たちに
包みかえされてしまう
瞳に写し取った最後の視線を
瞼の裏でやわらかくはぐくんでいる
わたしの視界はゆるみはじめる
あなたの方位を見定めることができずに
言葉はゆるやかにはぐれてゆく
綻びからすべりこんだ
あなたの修辞の中で
わたしはエーテルのように迷い出す
あなたの位置が
わたしへと向かい並び
そして隔たってゆく
その擦過を
もう一度見届けている
あなたは盲いてゆく
花びらのように
むしっては並べた言葉たちを
あなたの瞼に
あてがう
具体性のある言葉によって場をつくるのではなく、抽象度の高い言葉の持つ論理によってつくられた場で、そのせいでこの詩はすごく透明な景色が淡々と繰り広げられているような感じがする。最初に場所をつくって、それに色を付けずに動きや力によって透明な景色をつくりあげるみたいな感じだと思う。もしかしたら観念的な言葉が羅列されるだけのどうしようもない詩になるかもしれなかったのに、きびしく選ばれたと思う言葉が論理によってまとめあげられ、透明な一つの景色に向かって結ばれている。
動きや力にかけられた比重がこの詩はとても強い。対象を描くことよりも、対象の動いた軌跡や対象に生まれている状態の持つ余韻を時折ひらがなはとても適切に読み手に与える。そうした技術がさらに景色を漂白させつつ、透明感のある感じをつくりあげていくのだと思う。
この詩における「あなた」を何かしらの固有名詞は代わることはできるはずがなかったし、同時に「あなた」がそれじたいで固有名詞に変わることもできなかった。言葉は書かれることによってある方向を内や外につくるのだけれど、「あなた」という言葉はそれが何か指し示される「あなた」に相当する対象を外につくったり、対象それじたいになるというよりかは指し示す方向性そのものとしてゆるく、同時に強い緊張を持って書かれる。そのようにして「わたし」もあるのかもしれないと思う。
そして、その一方でそのぎりぎりの緊張が紙の上に乗った言葉、文字そのものとしての「あなた」においても上手く利いていて、だから2連目に展開される「わたし」と「あなた」のやりとりはとても力強く、動かすことが不可能なほど緊密に結ばれた動きがゆるぎない。