死がそこに待つてゐるならもう少し茗荷の花も食べてよかつた 河野裕子
『蟬声』(青磁社、2011年)より。
河野裕子が亡くなってからの世界は、なにか大きく柔らかな寛容を無くしてしまったようにも思える。
河野の遺歌集となったこの『蟬声』は、死の床にありながら最期まで歌を詠み続けた女流歌人とその一家の家族愛、夫婦愛を捉えた傑作としての評価が高い。しかし、その評価は河野の歌をそれのみで帰結させてしまっているようにも思えて、個人的には違和感をおぼえている。
歌人・河野裕子としての歌業をさらに追求してゆく過程がまだ必要なのではないだろうか。逝去後半年ほどして大震災があって、みながみな、震災に気をとられていて、そのような動きは中途で四散してしまったようになっていることが気がかりである。
この歌は茗荷の花がモティーフとなっている。私たちがふだん薬味などの食用にする部分は花穂の部分であり、花びらは花穂の部分から垂れるように咲く。花びらはガーゼのように透けて柔らかく、薄い黄色をしている。
正直言ってあまり美しいとは言えないし、花なのか分からないほど地味である。河野の歌には
鬱がちの家系の尖に咲きゆるび茗荷のはなのごときわれかも
など、茗荷をモティーフにした歌がしばしば見られるように、茗荷という植物は、河野にとって、私たちよりずっと身近なものであっただろう。広く対人的に認められている、歌人で、かつ良妻賢母としての河野裕子と、「鬱がちな家系の尖」として存在していた河野裕子その人自身。たびたび登場する茗荷は、素の河野その人の象徴であったかもしれない。
すうすうと四人の誰もが寒くなり茗荷の花の透くを回せり
死は少し黄色い色をしてゐしか茗荷の花は白黒であつた
掲出歌にある茗荷は、茗荷を食べ過ぎると物忘れが過ぎる、という仏教説話からのコンテクストがある。それを読者がどのように捉えてゆくかで歌の解釈も変わってゆく。だが、ここでのモティーフは一つの死である。
間近に見えてきた死、ひしひしと迫ってくると実感されている死、それは河野自身の一人の把握である。食事も満足に出来ないような体調の中で、何かを忘却できる茗荷を食べることを考える。それは過去からの、生きる苦を忘れたい願望であったかもしれない。
死を前にして、いったい、その人の過去とは、自身にとってどのような意味を持つのだろうか。その人自身の記憶、過去とはその人自身のものであり、家族であってもほかの誰かが映像のように同じ角度から共有したりすることはできないのだ。
病身は河野一人であった。死にゆくのは一人の道行きなのだ。その視点から読み直してみると、河野が死まで詠った歌はすべて、いたいたしく、さみしい。