意志のみを吾の現実となさむ今日はじめて吹きし野分光りき 河野愛子
『魚文光』(1972年)より。筆者が参照しているのは国文社刊の『現代歌人文庫』所収のものである。
この歌集は河野の第三歌集にあたっていて、内省的な、鬱屈した色彩の多い歌が収められている。「あとがき」を見ると
…この制作期間中に、わたくしは幾人かの人々とのつらいわかれを経験しました。親しく交わっていた三人の友のそれぞれの死、二人の肉親の死などは、地上においてふたたび相見ることをゆるされぬ絶対のわかれでした。(後略)
とあって、自らの結核予後から続く体調の低調に加えて、近しい人との死別も多くあったことが分かる。
また、結社の同志であった岡井隆の突然の出奔に起因する、「一層なまなましく深い悲しみをよぶわかれ」(同・あとがき)もこのころであった。こうした出来事は、直接・間接に河野の文学的環境に影響を及ぼしているといえる。
掲出歌は、「ひるがへる海」の一連から。上句の作者内部の意思表明と、初秋、はじめて吹いた野分という自然物との並置が美しく、また何らかの強さを感じる一首である。
「意志のみを吾の現実となさむ」という、きっぱりとした表明は、内省的で不可視な「意志」をおのれの明らかな現実にするという決意でもあって、河野のいた「アララギ」が目指す写生とも、歌集が編まれた時期の、現実的な問題を多く抱えていた当時(1966年~1972年)の社会状況とも、ひと味違うようにも思えてならない。
近しい人の死やわかれ、自らの健康失調など、様々な事象の喪失を経た河野が唯一確かに頼みとすることが出来たものは、自らの強い「意志」であり、その強さを「はじめて吹きし野分」に象徴させるあたりにこの歌の真骨頂がある。
白壁の剥れて土のくづれつつ光差せば動く羽ある虫ら
鳥のりて冬枝の尖のふるひゐる空ありどなき紺に拓かれ
天なるや燦きながら落つる日を静かにのみてひるがへる海
いずれも自然物を借りて自らの内省の声を高める。「光差せば動く」「ありどなき紺に拓かれ」「静かにのみてひるがへる海」など、河野独特の厳しくも美しい具象の把握が際だっている。病弱でか細い女性というイメージは、強靱ともいえる意志を持った強い女人のイメージに変化したともいえる。静謐な中に強さをもった自然物を捉えることで、河野は歌に自らの生き方を提示していったのである。