「敵」 柿沼徹
とおい煤煙のように
木立がけぶっている
私のいない場所に
行ってみたい
記憶の外から
太陽が照りつけてくる
山裾の段々畑の
畝と畝のあいだ
言葉のない昼夜を
知り尽くした下草たちの戦い
だがとおい煤煙のように
木立はけぶっている
詩集『もんしろちょうの道順』(2012年6月思潮社刊)所収
1957年生れ、柿沼くん(作品「アオキくんのこと」に免じてこう呼ばせてもらう)は『ルピュール』の創刊号からの詩友である。それ以前も柿沼くんは詩誌『詩学』で詩書選評を担当したりもしていた。合評会が終っておおっきなバイクで夕方の街を走り去るヘルメット姿がみんなの憧憬を掻きたてる。そして寡黙な男である。
柿沼徹の詩は、その姿から想像するイメージとは誤差的に優しすぎると思っていたが、その優しさがこの第4詩集に射光のように輝き渡っているのに驚愕した。この詩人の視力、周囲に投げる視線の恒常的な透明感が、この詩の2連目で「私のいない場所に/行ってみたい」と言語化されるような存在の哀しみでいつも満たされているのだ。それは生まれつきの素質なのだろう。
「敵」はこの詩集の最後に置かれた作品。柿沼詩の奥深い視力が充分に発揮されている。素描の端正な詩人である。この単純な風景の中に、しかし、光が満ちている。私たちも詩人といっしょに遠い木立を深々とした感情に満たされながら眺める。