戦後俳句を読む(17 – 2)  ―「風」を読む―  楠本憲吉の句 / 筑紫磐井

蘭は絃、火焔樹は管、風は奏者
曇り日の風の諜者に薔薇の私語

「風」の句と言うとこのような観念的な句にこそ憲吉の特色があるように思われる。松風や春風のような俳人好む風とはいっぷう違う「風」だ。しかし残念ながら、この2句とも前回の「鳥」で取り上げてしまったので、舞台裏が見えすぎてしまう。そこで、風に縁のある(鳥にも縁があるが)飛行機を取り上げて見る。

翼重たくジャンボジェット機も花冷ゆる
「いやな渡世」雲上を航く梅雨の航

第1句は昭和50年。『方壺集』より。流行に敏感な憲吉らしく、ジャンボジェット機を取り上げた極めて初期の句ではないかと思う(昭和45年7月に日航で就航している)が、これは素材だけが新しく、内容的に憲吉らしさがそれほど出ているとは思えない。

これに比べて第2句はいかにも憲吉らしい。昭和51年の作。「いやな渡世」は勝新太郎主演の『座頭市』(昭和37年第1作、40年代にブームになる)で語られるセリフだが、相変わらずそのパロディ。憲吉自身の俳人ともタレントともつかぬ行き方は確かに「いやな渡世」というべきかもしれない。俳人の中の『座頭市』とは、カッコつけたがり屋の憲吉のポーズのようである。

さてこの「戦後俳句を読む」を始めるにあたり、旧知の俳誌「都市」主宰の中西夕紀氏に参加を勧め、桂信子を論ずると言うことで了解をもらったのだが、都合により「詩客」への執筆は辞退された。主宰誌の編集が忙しすぎたからだ。ただその時の約束は、しばらくして「都市」で桂信子論の連載を始めたから、約束の半分は果たされたとみてよいだろう。「戦後俳句を読む」はどこで行ってもらってもよいのだ。

その中西氏から、私の取り上げている楠本憲吉の批判が来る。憲吉と桂信子は日野草城門のきょうだい弟子であり、そこで私の勧めで楠本憲吉全句集を買って読んでみたのだが驚いたらしい。憲吉の句は男には面白いかもしれないが、まったく女性を馬鹿にしており、女の敵である、というのである。例えばこんな句。

呼べど応えぬひとまた殖やし夏去りぬ
夏靴素直に僕を導く逢うために
風花やいづれ擁かるる女の身

しかしその後、新潟から出ている「喜怒哀楽」と言う雑誌で中西氏は3回にわたって「クスケン」の俳句鑑賞を連載、編集部によると「毎回大反響」とか。この3句も丁寧に鑑賞に取り上げていた。最終回では、「男の恋歌を長年詠ませた正体を、ダンディズムと言う人もいる。クスケン亡き後、女より、男にもてているのではなかろうか。」と結んでいる。どうやらクスケン俳句は人を元気にするらしい(それも私などより上の世代)。私の僻目でいえば、また楠本憲吉ファンが増えたのではないかと思うのである。

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